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オートバイの旅(37)Chad-1977/10/28 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(37)Chad-1977/10/28

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1977/10/28   カナダ人のおばさん
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 チャド国境の町には、ガソリンスタンドが4軒あったが、ガソリンはなかった。青空市場にはビール瓶にガソリンを詰めて売っていた。10本買ったところ、1リットル150フランと高かった。そこで揚げパンとピーナツ、串焼き肉を買う。
  この国に入ってからは、牛馬が多く見られるようになった。コースを間違え、遠回りしていることに気が付き、進む気をなくして、教会でキャンプさせてもらう。この一帯はカトリック布教のため、多くのフランス人が住んでいる。その教会には7人の神父がいて、日本へも2度も行ったという人もいた。彼らの夕食の席に誘われ、そこでとんでもないことを聞いた。
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 この南部から首都ジャメナヘ行く道は通行不可能だという。チャド国内には、2本の幹線があるが、どれも通行止めらしい。雨季は終わっているのだが、その地帯は湿地帯なので、今年いっぱい無理のようだった。南部からジャメナヘは、カメルーンを経由していくのがよいらしく、輸送トラックはすべてそのコースを利用していた。
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 2泊して、今後のコースを考える。東アフリカへ行くことを中止したために、時間が余ってしまったのだ。つまりこのままサハラを超えてしまうとヨーロッパは冬の真っ最中で、とても旅行などできない。春ごろにヨーロッパに着く必要があった。予定変更してあちこちうろうろしなければならない。
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 カメルーンへ向かう道は今までと違て幅広く、少し退屈するぐらいだった。景色も変わった。樹木が非常に少なくなり、草が多くなった。民家の造りも変わった。屋根に使う草の種類が変わったらしい。屋根の勾配がきつくなり、草の厚さが非常に薄くなっている。そして、中央アフリカに比べると、屋根そのものが高くなったかわりに、土間の面積が小さくなった。そして民家の位置は道路から離れ、数が多い。
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 中央アフリカのような大きな集落はなくなり、家はあちこちに点在している。各農家は円形の庭を持ち、そこに大きな徳利型の食料倉庫が置いてある。これは家と同じように土壁でできている。
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 カメルーン国境の町で教会に滞在したとき、神父がライ病患者の村へ行こうと誘てくれた。それは町のはずれにあって、病棟らしきものはなかった。たった一人で治療に当たっているカナダ人のおばさんが嬉しそうに家から飛び出してきた。長い間英語を使っていないから言葉が出ないというが、私にわかるように大きな声で話してくれた。もう45歳ぐらいだろうか。・・・
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 彼女の家の横に小さな治療室があり、その前の広場を取り囲むようにしてレンガ造りの家がいくつもあった。それぞれにライ病患者の一家が住んでいる。それぞれの家の裏には畑があり、自給自足の生活をしている。だから普通の村と少しも変わらなかった。どこにライ病の人がいるのかと思うぐらいだ。私はてっきり部屋に閉じ込められていると思っていたのだが、実はそうではなかった。
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 神父は、一人一人に握手をして歩いた。みんな手で触れてくれるのが非常に嬉しいようだった。
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 カナダ人のおばさんは、「あなたのように大きな旅はできないけど、私はここで働けるのが楽しいのよ」という言葉を聞いて、胸がジーンとなった。

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オートバイの旅(38)Cameroon-1977/11/03 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(38)Cameroon-1977/11/03

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1977/11/03   十字架
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 カメルーン北部の山岳地帯に入る。道路は2車線のアスファルト舗装になった。久しぶりにエンジンは5000回転を超えた。石がゴロゴロした山が左右に見える。ジャングルや草原ばかり見てきた私には、この山岳地帯が非常に美しく見えた。川筋にある落葉樹は葉を黄色に変え、散り始めていた。雨季の終わった川は涸れて、砂ばかりの川底を見せている。大きな川もほんの少しの水を残しているだけだ。間もなく本当の乾季が近づいているのを感じる。
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 ナイジェリアの国境に沿って連なる山岳地帯をモコロへ向かう。山道が続き、急傾斜の所もある。大きな石がゴロゴロしたところに風変わりな民家があった。草屋根だけど、その先が鋭くとがっている。そのとがった穂先は、いろいろな方向に向いていて何かを意味しているようだ。
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 この部落は非常に閉鎖的だった。だいぶ離れた家の写真を撮っていても、女が血相を変えて石を握って走ってくる。
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 ルムスキの奇岩の前で一服して、気分は最高だったが、パンクしてしまった。荷物を全部おろして、パンク修理。一番嫌な時だ。
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 ガウンドレの町の教会でキャンプさせてもらったとき、山奥の村で活動している神父に会い、2週間ぐらい、山奥で過ごしてみないかと誘われた。
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 バイクと荷物を町の教会に預け、小型トラックで山奥へ向かう。場所はナイジェリア国境に近いファロ自然公園のそばだ。ティクネレまでは普通の土道だが、その後は恐ろしいような道になる。雨季にはとても走れそうにない。大きな川には橋があったが、小さな川は川底まで降りて、反対の川岸を這い上がる。勾配は急だ。バイクではとても行けそうにない道だ。最後の川底でトラックは動けなくなった。
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 夜11時、中継基地の教会に到着。しかし、そこは神父の教会ではなく、明日、別のトラックに乗り換えて、更に奥地へ入るのだ。
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 神父はドイツ人で、名をコスモスという。私がつけたあだ名はゴルゴ13である。よく似ているのだ。コスモス神父は夕食のとき、君はこれから2週間アフリカ料理だけで過ごさなくてはならないと脅かした。しかし、夕食に出されたものは、目玉焼き、何かのフライ、サラミソーセージ、パンでほっとした。
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 翌朝、乗り込んだ車は4輪駆動車で、タイヤは農耕トラックター用だ。沼地でも川でもどこでも走れそうな車だ。その4000ccの戦車のような車は、トラックより乗り心地が悪かった。しばらく行くと大きなファロ川にぶつかった。まだ、雨季が終わったばかりで水量が多い。コスモス神父は慎重に岸から車を川に中に落とした。川底に大きな石があり、車は横滑りしながら進む。対岸は急斜面の砂地で、神父はその手前で車を停め、デフをロックして、一気に登った。私は楽しくて仕方がない。しかし、危険なので、このときだけは話しかけなかった。
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 もうこれは道ではなかった。でも、このルートも川に水がなくなると、ナイジェリアから密輸品を積んだ小型トラックが通るという。
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 自然公園に近いから動物も多い。神父があそこを見ろ、と動物の名をあげるが相手は素早い、私には見つけることができなかった。一度だけ、ヒヒが農家から飛び出してくるのを見た。ものすごい面相の奴だった。
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 神父の教会のある村で、私は2週間過ごすことになった。別に仕事はない。2日もすると退屈になってきたので、自分の部屋や便所の掃除をする。小学校へも遊びに行った。まだ、退屈なので、教会の看板を作ったり、教会の庭を造るために、手製の測量機器を作って測量をしたりした。
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 針金でペンダントを作っていると、神父から教会に置く十字架を作ってくれと頼まれた。この時ばかりは私も考えた。何しろ私はキリスト教も何も知らない。いくら山奥の教会だといっても、そこに安置される十字架となると、ペンダントを作るような訳にはいかない。2日ほど十字架というものを考えた。そして考えた挙句に、十字架から安らぎを感じられるもの、仏像のような表情のある十字架を作ることにした。
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 材料が問題だ。権力の象徴のようになってはいけない。キリストの身体を表すものだから、いっさい定規は使わなかった。釘も使わなかった。半分ほどできあがたところで、神父からどうしてそんなに左右の長さが違うのかと聞かれた。測ってみたら5センチ以上も違う。そこで制作理念を説明したら、彼も納得してくれた。
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 しかし、この仕事はなかなか進まず、ビザの期限が終わりに近づいていたので、それを残したまま、ナイジェリアへ向かうことになった。ビザを取り直して、すぐ戻ってくるつもりであったが、ナイジェリアではカメルーンのビザは取得できなかった。十字架を完成させることができなかった。(まだ、あの作業場の棚の上にあるのだろうか・・・・・)

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