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オートバイの旅(27)Mexico-1976/12/14 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(27)Mexico-1976/12/14

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1976/12/14       正月のお餅
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 州都ラパスへ引き返している途中、突然犬がハイウェイへ飛び出してきた。一瞬前輪に犬が触れたかと思った。犬はバイクと並んで走り続け、バイクの前へ出ようとする。大きな犬だったので、引いてしまったらバイクは大転倒する。スピード上げた方がよいのか落とした方がよいのか困ってしまった。
 この辺のトラックには、大きな鉄格子のパイプが付けられている。突然飛び出してくる動物や牛が多いので、万一の場合に備えて、つけているらしい。

 メキシコ本土に渡るフェリー乗り場について、切符を買おうとしたら、バイク用の切符を売ってくれない。何か書類が不足しているらしいが、スペイン語なので理解できない。とうとうフェリーに乗り損ねて事務所の前で寝ることにした。港の警備員と親しくなり、私もバイクも見張ってもらうことにして寝た。
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 この半島は免税地区なので、本土へ渡るための税関の書類が必要だった。町をあちこち走り回って書類をそろえた。そんなことで切符売り場の娘とも親しくなり、デッキクラスの切符を頼んだのに、キャビンの切符をくれた。
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 メキシコ本土の幹線はすごい交通量だ。トラックが追いかけてくる。カーブでも登り坂でも追い越そうとするので、恐ろしい。しかし、だんだん慣れて、私の運転の荒くなり、登り坂でも追い越しするようになった。
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 1976年のクリスマスはメキシコ市で迎えた。暑くてクリスマスという言葉は、ピンとこない。
 ユカタン半島のはずれに美しい海岸を見つけた。新婚旅行するなら、また、ここへやってこようかなどと思てみたりした。
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 メキシコ郊外のピラミッドの下でキャンプした時、銃を持った男たちに取り調べを受けたりして驚いたが、夕方のピラミッドのシルエットは美しく、印象的だった。
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 南部にジャングル地帯には珍しい植物が生い茂り、地表が全く見えないぐらいだ。空地があっても植物で覆われていて、キャンプができない。何しろ気味の悪いトカゲがうろうろしている。
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 パンアメリカン・ハイウェイへ引き返すときからバッテリーが異常だ。朝、ニュートラルランプの光り方が弱くなった。そして、とうとうホーンが鳴らなくなり、フラシュランプも点滅しなくなった。夜中にも放電しているらしい。
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 バッテリーが空になれば、エンジンはかからない。このバイクはマグネット点火ではない。大きな町へ行っても原因を調べられる専門修理工がいなかった。また、メキシコには同じサイズのバッテリーがなかった。次の国グァテラマへ行けば、新しいバッテリーが手には入りそうだったので、完全に放電してしまわないように夜中に3回ほどエンジンをかけて充電した。
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 国境まで後500キロ地点に達した夜、エンジンをかける回数を1回減らしたところ、翌朝バッテリーは完全放電して空になっていた。
エンジンはかからない。仕方がないので、道路端にキャンプしていたテントとバイクをそのままにして、バッテリーをもって徒歩で町へ向かった。
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 途中トラックに乗せてもらって町に着いた。いろいろ考えた末、バッテリー液濃度が下がってしまったのだろうと考え、液を全部入れ替えてみた。たびたびの急激放電のために発熱して、バッテリーケースは変形してしまっていた。3時間ほど充電してバイクの所へ歩いて戻った。その間にも放電してしまうのではないかと心配したが、液を交換したことが成功して、エンジンがかかった。バッテリーが直ったと思えたが、心配だったので、今日中にグァテラマの首都グァテラマまで走り通すことにした。
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 国境を超えると、すぐに暗くなった。夜9時を過ぎるとガススタンドも閉店になり、ガス欠も心配になった。初めての夜の走行だが、それほど不安はなかった。山の中は真っ暗で、バイクのライトでは不十分だ。ライトに浮かび上がるセンターラインを追いながら進んだ。夜の12時過ぎに、やっと首都グァテラマに到着した。これでバッテリーの心配はなくなった。
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 こんな時間に町に到着したのでは寝る場所もない。しかたなく深夜営業のカフェーを見つけて夜を明かす。絶えず、流しの楽団がやってきて、ラテン音楽を演奏する。とても、うとうとできないほど騒がしかったが、楽しい夜だった。
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 翌朝、バッテリーを手に入れた。グァテラマはバイク天国だった。ものすごい数だ。車がバイクの中を小さくなって走っている。信号機の色が青になると、2.30台のバイクが、まるでレースのスタートのように走り出す。

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 中米でのキャンプは楽しかった。ヤシの木があちこちに茂っている。背の低いものが多く。手を伸ばすと取れるものもある。ひと泳ぎしてから、もぎ取ってヤシのジュースを飲むのは最高だった。不純物の多い井戸水なんかもう飲む気がしない。
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 中米の日本大使館へ、実家からの手紙を受け取りに行った。ちょうど昼飯のために家へ帰ろうとする大使にあった。いいおじちゃんで、私の汚い姿を見て興味を持ったらしい。昼飯でも一緒にどうだと言われてついて行った。
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 郊外にある素晴らしい家だ。昼飯前に庭にある素敵なプールで、ひと泳ぎする。私は水泳パンツを持っていないので、おじいちゃんのパンツを借りる。
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 その後、すばらしい昼食をいただいた。大使夫人は正月のお餅を焼いてくださった。食後、日光浴しながら、お茶を飲んでいたが、大使はいつの間にか、うとうとと眠ってしまった。夫人にお礼を言って、こっそりと大使の家を去った。素晴らしいおじいちゃんだった。
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 その後、私は、エルサルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマと調子のよくなったバイクを走らせ、南下した。中央アメリカの道路は、マンホールの蓋がなくなっているところもあり、更に、市内の手前には道路にダンパーが埋められているのです。これは、大きな半球形の障害物で二輪車は普通には越えられません。気が付かずに越えると、間違いなく転倒です。そんなことで、安心できない行程でした。

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