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オートバイの旅(28)Venezuela-1977/01/31 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(28)Venezuela-1977/01/31

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1977年になりました。
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1977/01/31   航空券
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 パナマ市に到着。まだ、パナマと南米を結ぶ道路はありません。計画があるだけだ。どのようにして南米へ渡るか旅行代理店などを回ってみた。船や飛行機を調べた。

 私はどんなに困っても、ホテルへ行こうなどとは考えもしなくなっていたので、3日間、町の中のガススタンドの裏で寝かせてもらっていた。蚊が多くて困った。
 
 町を動き回っているとき、アラスカから旅の取材旅行をしている東京放送のスタッフにあった。彼らのホテルでコーヒーを飲みながら、久しぶりに日本語楽しんだ。(その後、私は世界各国で彼らと会ったり、同じ町に滞在いしていることを聞いたりした。コースも旅行期間もほぼ同じだったのだ。)
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 結局、飛行機でベネズエラへ渡ることにした。バイクも箱詰めにして送る。出発の日までパッケージ会社の倉庫の前で寝かせてもらうことにした。その時の私の姿はひどいものだったらしく、倉庫の若者は私に洗面器と石鹸とタオルを渡して、倉庫の横に水道があるから、洗ったらどうだといった。さらに、その会社のTシャツまでプレゼントしてくれた。そんなにひどかったのかな。
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 出発の日、私もバイクを積んだトラックで飛行場まで運んでもらった。国際カウンターで、ベネズエラからの出国用航空券を持っていないと搭乗させないという。冗談ではない。私はバイクで旅行しているのだから、陸路で出国するのだといても、わかってもらえない。とうとう一番安い国際線の航空券(60ドル)を買わされてしまった。後でわかったことだが、ベネズエラでは、航空券の払い戻しをしてくれないのだ。(詐欺だ。)

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1977/02/04   司令官
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 1時間たらずの飛行でベネズエラに到着。飛行場からアメリカで会ったルイスに電話したら、30キロも離れた首都のカラカスから大きなアメリカ車で飛んできてくれた。彼は黒いスーツを着て、美しい奥さんも同伴だ。素晴らしい歓迎だった。だが、私は汚いズボンと上着だ。申し訳ないと思った。その彼の車に乗るのもためらわれた。
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 バイクの受け取りは失敗した。翌朝、飛行場の税関倉庫へ行き、バイクの無税通関書類(カルネ)を見せたが、今まで飛行機でバイクを持ち込むものはいなかったのだろう。係員はまったくそのような書類は知らず、いくら説明しても聞こうとしない。オートクラブへ相談してみたが、あまりこじれると受け取れなくなるという。そして輸入税を払ってでも、早く受け取った方がよいというのである。
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 通関手続きをして、1週間ぐらいバイクの整備をした。南米の旅にスタートした。すでにバイクは4万キロを走っている。あまりにもスペアーパーツが多いので、減らした。まだ交換する必要もなかったが、日本から持ってきていたシリンダーを2つ交換した。同時にピストンリングも交換した。
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 ガススタンドなどでキャンプしながらマラカイボへ向かった。出発して3日目、ガススタンドの店主が物置で寝ることを勧めたので、好意に甘えて物置で寝ることにした。テントが張れないので物置の壁に荷物を並べて、それを囲むようにして横になった。
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 そこはドアがなく、24時間営業で、たえず人の出入りがあり、少し不安だったが、眠ってしまった。そして、翌朝、ザックからズームレンズのカメラが消えていた。
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 盗まれたものが返ってくるはずはないが、一応、村のポリスに報告した。本庁のポリスがやってくるまで待つことになった。村の人たちは非常に同情してくれた。ポリスも非常に親切だった。待っている間、私は村の人たちの家に招待され、食事をいただいたりして、思わぬ村人との交流を持ちことになった。
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 夕方。本庁から護送車がやってきて、その日の深夜働いていた若者3人を護送していった。私もついて行き、その夜は警察の中で寝た。翌朝、ガススタンドの主人も呼ばれて、取り調べを受けたが、全員釈放された。
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 犯人は、スタンドで働いていたものと思うが、物置へよく顔を出していた男は来ていなかった。スペイン語が話せない私には、手の打ちようがない。
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 そのとき以来、私は警察署でキャンプして進むことが多くなった。
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 南米の人は非常に親切だ。ポリスたちも歓迎してくれた。小さな町では、私が警察へやってきたことを知って、人々が押し掛けてきた。昼間はテントを張ることができないので署内にいると、牢屋の中の連中も私の訪問を大歓迎してくれる。犯罪者の雰囲気はまるでない。金のある連中は食堂から飯を取り寄せているらしく、毎食、食堂の小僧が出入りしていた。優秀な囚人は警察の中を歩きまわており、掃除をしたり、他の囚人の世話をしている。
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 町の子供が、私の顔を一目見たいと押し寄せるので、私も警察の迷惑になってはいけないと思い、見物人を引き連れて公園へ出かけたりした。もう大騒ぎだ。私も少しばかりスペイン語を覚えたので、いつまでも動物園の檻の中の動物のようにはなってはいられない。私は公園の台の上から、一人一人、指名しては名前や歳を聞いて会話を楽しんだ。何を聞いても、大騒ぎになる。
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 なかには逃げ出す子供もいるが、私が子供の名前を繰り返すだけで発音がおかしいのだろう、みんなが大笑いする。また、年上に見えるとか、若く見えるなどと言うたびに大騒ぎだ。君はかわいいねなどというと、みんなに冷やかされて、赤くなって逃げ出す娘もいた。若者たちは、指と指を合わせて、好きかと聞いてくる。話をするたびに大笑いする陽気な連中だ。
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 後で、警察まで食べ物を運んでくれる人もいた。大きな警察では、宿舎の食堂で若いポリスたちと一緒に食べさせてくれるところもあった。
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 コロンビアの国境の警察の基地を訪ねたときは、その北部一帯の司令官に会い、その人の名刺をもらった。その名刺は、検問で取り調べを受けるときには、絶大な威力を発揮し、取り調べが簡単にすんでしまった。

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