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オートバイの旅(46)Argeria-1978/03/21 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(46)Argeria-1978/03/21

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1978/03/21         玉子ケーキ
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 朝、いつものように若者が洗面器とお湯を持ってきてくれた。そして、コーヒーを入れてくれた。
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 納屋の中に張ってあってテントを片づけ、納屋の外へバイクと荷物を出したところへ若者が戻ってきた。彼は私が今日出発することを理解していなかった。昨日、伝えたつもりでいたのだが、通じていなかった。
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 出発準備ができたところで、もう一人の男が玉子ケーキを持っち来てくれた。3人の男が集まった。若者はいつもと違い、落ち着かない。鼻をズーズーいわせていると思ったら、目に涙をためて、とうとう泣いてしまった。私も思わず鼻の奥がツーンとなった。しかし、バイクの別れはあっけない。走り出したら、振り向くこともできない。本当にありがとう。
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 アトラス山脈の南側をモロッコへ向かって走った。

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1978/03/24       羊の群れが
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 ブサダの町でキャンプしていた。道も良いので、この日は300キロぐらいは走ろうと、朝早く、テントを片づけた。荷物をバイクに乗せてから、後輪がパンクしているのに気が付いた。せっかく早起きしたのに、また荷物を降ろしてパンク修理だ。
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 9時過ぎに町で買い物して、アルジェの方向へ走り出した。町を出ると、向かい風でスピードが十分にでない。後ろから500メートルほど離れて付いてくるトラックが気になった。
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 町から20キロほど行ったところで、羊の群れが道路の両側で草を食べているのに出会った。いつもなら、バイクの音に驚いて逃げて行くのに動かない。向かい風で音が聞こえなかったらしい。群れのいる所へ来たとき、突然、群れの中に2匹が道路を横切った。
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 私はブレーキをかける瞬間もなかった。前輪タイヤの1~2メートル先に羊を見ただけだ。私は道路にたたきつけられた。仰向けになっていた。意識はあったが起き上がれない。ゴーグルの左目は割れたが、目は傷ついていないようだ。しかし、全身が激しく痛む。後ろからやってきたトラックの運転手が、ヘルメットを脱がせてくれようとするのだが、全身に激痛が走って、そのままにしてほしかった。ヘルメットを脱がされて、すぐにバイクを目で探した。すでに数台の車が集まていた。私を起こそうとするのだが、痛くてダメだ。先にバイクを起こしてくれと頼んだ。
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 私の耳に、かすかにうめき声が聞こえた。寝たまま後ろを見ると、羊が内臓をぶちまけて横たわっていた。私はすぐに目をそらした。80キロのスピードで羊と激突したのだ。
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 交通が渋滞してきたので、起こしてもらった。道路端にしゃがんだ。親切な若者が病院へ行こうと言ってくれた。やっと治りかけていた膝をまた打ってしまって、足も十分に曲がらない。バイクはサイドミラーがもぎ取れ、ヘッドランプはこなごなに壊れた。ハンドルも曲がり、羊がぶつかったバイクの泥除けには、血が付いていた。フロントフォークが少し後方に曲がっている。
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 バイクはトラックで運べばよいとか、誰かが運転していってやるよとか言ってくれたが、心配なので自分で運転することにした。グリップを握ると手首が猛烈に痛んだ。
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 病院でレントゲン写真をとると、右手首関節にひびが入っていると診断され、すぐに石こうで固定された。3日間の入院が許可された。医者から、2か月ぐらいしたら、またここへ戻ってくるように言われたが、手も足も不自由で、どこへ行けばよいのだろう。
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 この日は親切な女医のおかげで、個室に入ることができた。この静かな田舎の病院に変わった奴が来たものだから、看護婦や患者や見舞客がたえず覗きにきて、いろいろな食べ物を置いていってくれた。
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 夜、手首と両膝が腫れて痛み、眠れなかった。みんな非常に親切で、主任看護婦のおかげで入院期間が3日から2週間、1か月と伸び、結局まる2か月も入院してしまった。ここは社会主義の国だったので、医療費を請求するシステムはなくて、私は医療費を支払うことがなかった。

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 ギブスを外した後も、手首を動かすと痛み、曲がるようになるまでは、かなりに時間がかかった。
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 入院期間中の2か月間には、いろいろなことがあった。入院患者同士で2回ほど喧嘩をしたり、シラミがわいたり、多くの人から食べ物をもらったり、日本人の旅行者が見舞いにきてくれたりした。暇をつぶすような本がなかったので、病院中の看護婦さんと親しくなったり、結構楽しい入院生活だった。
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 私が入院したころは、見舞客が持ってくる果物は、オレンジとバナナだったが、5月の下旬になり、退院が迫ったころには、季節も変わって、ビワだけになった。また、ツバメが忙しく巣を作っていたのが、かわいいヒナがかえり、やかましく鳴きたてるようになっていた。2か月という時間をしみじみと感じた。
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 病院にやってくる患者のほとんどが肺と胃の病気で、レントゲン写真では、その部分が真っ白になっていた。
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 1か月もたったころ、親しくなった看護婦さんが「もうここで結婚して、べべ(子ども)でもつくりなさいよ。この病院には、大勢ミスがいるわよ。私もミスよ。」と言ってくる。たびたび聞かされるうちに、冗談とも思えなくなってきた。ここの女性たちは、すぐ私の髪を触りたがった。彼女たちにとって、カールしていない髪がうらやましいようだ。
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 ある日、そんなに触りたいのなら、私の髪を洗ってくれよと頼んだところ、洗濯用の粉石鹸を使うのには参った。(その時、まだ手が使えなくて、頭がかゆかったのです)
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 入院中にこちらの娘の素顔を見ることができた。町で見る女性は、ほとんどが頭から白い布を被り、男と目が合うと軽蔑したような目つきをするが、布の下は普通のかわいい女の子だ。白い布の下は、流行のジーンズをはいていた。彼女たちも病院から出ていくときは、やはり頭から布をすっぽりかぶってしまう。でも大きな町では、白い布を被らない娘の増えているらしい。

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