SSブログ

オートバイの旅(47)Spain-1978/06/08 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(47)Spain-1978/06/08

image1200.jpg

-
1978/06/08   3000ドル
-
 モロッコのスペイン領セウタからフェリーボートに乗る。まだ旅行シーズン前で乗客は半分くらいだ。スペインの入国は簡単に済んだ。足は直ったが、右手首はまだ痛い。
- 
 地中海沿岸に沿って走ることにする。別荘地や観光地が続き、おまけに雨の日も多くて、キャンプできる場所を探すのに骨を折った。
 何しろ、残金は3000ドル以下で、いくら計算してもオーストラリアまでの交通費しかない。とても有料キャンプ場などには行けない。
-
 ヨーロッパ・・・ここでは旅行は生活の一部で、他人の旅行に対しては興味を示さない。北アフリカのように、ガソリンスタンドで係員が話しかけてくることはない。すこし、スペイン語を知っているのだが、ほとんど言葉を交わさない。言葉を忘れてしまいそうだ。ストアへ食料を買いに行っても、ただ、無言のまま金を払い、品物を受け取るだけだ。非常に寂しい。
-
 首都マドリッドでは、アフリカのセネガルで会ったマイセルを訪ねた。歓迎してくれた。嬉しかった。彼もバイクでサハラ縦断を試みたが、途中で挫折してトラックに積んで越えてきた。
-
 彼の家で1週間以上も世話になり、マドリッドの生活を楽しんむことができた。

image1050.jpg


-
1978/06/22   パリ祭
-
 ポルトガルに入国。スペインより素朴で親しみを感じさせる国だ。国のいたるところに松林があり、キャンプも容易だ。
-
1978/06/30
-
 小さな小さなアンドラ国。どんなに素敵な国だろうと期待して、雨の中を走って行ったのだが、観光客がいっぱいで、高級品店がずらりと並んだつまらない町だった。
-
 げんなりして、そのまま走り抜け、その日の内にフランス国境を越えた。峠にはまだ残雪があり、非常に寒かった。キャンプできるところはなかなか見つからず、更に雨が降り出した。
-
 パリに到着したときも雨だった。
-
 アルジェリアで入院中にディスクが錆びてしまっていた。雨の中では全くブレーキが利かなくなってしまった。おそるおそる走る。あちこち走るうちに迷子になってしまい、どこにいるのか分からない。
-
 交差点で、困っていると後ろの車から「ヨーゾー」と声を掛けられた。アフリカで会ったエリックだった。彼もバイク野郎で、サハラ越えを失敗している。
-
  彼は、ずぶ濡れの私をカフェへ連れていき、ご馳走してくれた。両親が旅行へ出ていたので、泊めてもらうことになり、郊外の素敵な家に案内された。
-
 スランスでは、後半の旅行にそなえて、バイクの大修理をやった。クランクシャフト、シリンダー、フロントフォークチューブ、リアクッションなどの交換だ。
-
 ちょうどパリ祭の最中で、エリックは私を車に乗せて、パリのにぎやかなところへ連れて行ってくれた。エッフェル塔にも行ったが、登るお金がもったいないので、眺めるだけにした。ノートルダム寺院は素晴らしかった。花火大会と広場での演奏とダンスは非常に楽しかった。
-
 もっと楽しかったのは、エリックの友達と会う時で、相手が女性だと、必ず両頬に2回ずつキスをした。素敵な娘がいた。ダンスもした。

image1070.jpg

-
1978/07/20   ご馳走
-
 フランスからイギリスに渡るのに約30ドルかかった。ロンドンでも、アメリカ旅行中にあった青年の家を訪ねた。1週間ほど厄介になり、バイクの整備をした。修理する箇所は際限がないぐらいだ。
-
 スコットランドの北の端まで足を延ばした。ツンドラ地帯で、たえずカスミがかかっていた。海は荒れていた。とても寒かった。
- 
 ロンドンに戻り、今度はエリックの友人の家に泊めてもらた。結婚早々のカップルだったが、心から歓迎してくれた。彼女の最善のご馳走をたっぷりいただいた。食後にシェリー酒をいただき、私の胃袋はびっくり仰天。トイレへ飛び込んだ。みんな出してしまった。また、やってしまいました。私の胃袋は、パンだけでよいのです。少し、マーガリンがあればもう最高です。
-
 いったんフランスに戻り、すぐにベルギー、オランダ、ドイツ、デンマークを経由して北欧へ向かった。
-
 北欧ではさらに住民の感じは変わった。ほとんど言葉を交わすことがない。セルフサービスのガススタンドとスーパーマーケットに立ち寄るけれど、言葉を交わす機会がない。何かを訪ねても、英語を知らない人たちだから、ただ、黙って顔をそむけるだけだ。人がいるのに砂漠の中を旅しているようなさびしさを感じた。
-

image1189.jpg


1978/08/29   台所
-
 雨が降り続くフィンランドを北上して、ノルウエイに入る。
 北海を求めて、岬に出た。そこにあった漁港はひっそりと静まり、箱型の家が色鮮やかに美しく立ち並んでいた。荒い北海に面した道路は、波しぶきがぶち当たり、霧が陸に上がったり、海に戻ったりを繰り返していた。幻想的だ。この日の北海でのキャンプは、忘れられない。
-
 ノルウエイを南下する途中、ヤマハYDS-3に乗った若者にあった。私が乗っているRD250の初期のモデルだ。ヤマハ仲間の気分で、すぐに親しくなり、家に招待された。きれいな家で、きれいな奥さんもいた。私は着替えのズボンもない。旅の姿のままで、革ズボンをはいたままだ。家が汚れそう。
- 
 彼はヘリコプターのパイロットで、ドイツ人の奥さんは「この人の話は、バイクとヘリコプターのことばかりよ。」とこぼしていた。
-
 彼のバイクはエンジンが不調だった。滞在を少し延ばして修理してあげることにした。シリンダーヘッドのプラグ穴がつぶれていたが、それはまだ使えた。大きな原因はハイテンションコードが緩んで錆びていた。修理が完了すると、買った時よりもパワーが出たといって、大喜びしてくれた。
-
 オランダのヤマハの作業場で、浅見貞男選手に会う。バイクの整備をしていた1週間の間、毎晩、彼の手料理をご馳走になった。以前にラーメン屋でアルバイトをしていたというから、味噌ラーメンの味は最高だった。
-
 彼は1台の大きな車に3台のレーシングマシンを積んで、二人のメカニックとともにヨーロッパ中のレースを転戦しているサムライだ。
-
 ヨーロッパでは、テントを張れる空地を見つけるのが大変だったが、ドイツだけは、いたるところに森があり、夜になっても、どこでキャンプするかなどと心配しなくても良かった。ただ、雨の日が多いのが悩みだった。
-
 スイスでは、2年前にカナダの旅をしているときに会った老婦人を訪問した。あの時は、いつでも来てくれ、2.3日は滞在してくれと言われたが、台所に通され、1杯のコーヒーをご馳走になっただけで、部屋がないから泊めてあげられないと、やんわり断られた。考えてみると、私がスイスに到着したときの姿は、髪はぐしゃぐしゃで、顔はほこりとオイルで汚れ、着ているものはボロボロで、その衣類はオイルと泥がこびりついていた。悪臭もしたと思う。泊めてもらおうとした方がおかしいのだ。
-
 私は、予定が外れてしまって困ったけど、部屋が汚れてしまうと夫人が心配したのも仕方がない。私を家の中に入れてくれただけでもありがたい。

map 1970.JPG


-



共通テーマ:バイク