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オートバイの旅(48)Yugoslavia-1978/10/11 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(48)Yugoslavia-1978/10/11

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1978/10/11   夜間学校
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 そろそろヨーロッパアルプスに雪が降るのではないかと心配して出発した。天気が予想外に良くて、思っていたよりもあっさりと峠を越えてしまった。同じスイス国内でも、アルプスの南側はまるでイタリアのようだった。アルプスを下るにつれ、また暖かくなった。
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 イタリアに入ってからは、物価が安くなったので、大きくて旨そうなソーセージをたっぷりと買い込み、昼飯時間が待ちきれなくて、道路端でパンと一緒にかぶりついた。
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 イタリアでは、ベネチアまで行ってみたが、観光地や名所は自分には関係がないと考え、素通りした。私の旅は名所を見て回るほど余裕はない。
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 早く、中近東へ行き、自由にキャンプしながら気ままに進みたい。ヨーロッパでは、自分の姿があまりにも汚いので、買い物するときも人の目を意識し、カフェなどには自由に入ることもできない。ヨーロッパの旅を続けるのが嫌になっていた。
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 ユーゴスラビアに入ると、町には国旗が掲げられ、労働者をたたえるような歌やマーチが流れており、社会主義国らしさをひしひしと感じた。でも若者たちは、はつらつとして明るく、私が想像していた社会主義国のイメージとは違っていた。
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 アフリカのカメルーンで知り合ったトモ君を訪ねた。彼の下宿に泊まったり、友人の大学の寮を泊まり歩いた。たくさんの学生たちと友人になった。みんないい若者たちだ。チトーを尊敬しており、自分の国の社会主義のあり方に自信を持っていた。彼らは小遣いを出し合って、町のレストランへ連れて行ってくれた。
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 ギリシャへ向かう途中、雨が降り続いた。道路わきの林の中でキャンプしながら雨が降りやむのを待っていた。道路の反対側に住む青年がやってきて、全く言葉が通じないのだが、うちへ来ないかという。あまり裕福でない農家だったが、温かい雰囲気の家庭だった。

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 顎の張った頑丈そうな母親と二人の息子、そして夫人に頭の上がらない人の好さそうなご主人の4人家族だった。
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 ほとんど言葉が通じないのに青年とは気が合って、5日間も滞在してしまった。そのミルティ青年の上衣とズボンと靴を借りて、毎日、町へ遊びに出かけた。ミルティは、女子を眺めて歩くのが好きな青年で、毎日が楽しくて仕方がないという感じだった。
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 夕食のときなど、私がひとり増えたので、皿が1枚足りなくなり、そのとばっちりを受けたのが親父さんで、ナベを皿代わりにして、食べていた。いい親父さんだった。
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 ユーゴスラビアのコーヒーの飲み方はちょっと変わっている。まず、非常に甘い砂糖漬けのフルーツとコップ1パイの水を出される。あまりにも甘いから、どうしても水が欲しくなる。その水で口の中を整える。つまり日本の茶道に似ている。それが終わってから、やっとコーヒーが出される。豆のカスがいっぱいのトルコ風のコーヒーだ。これはカスがカプの底に沈殿してから飲む。飲み終わった後は、そこにカスのたまったカップを受け皿にひっくり返しておく。しばらくしてカップに付着したカスをはがして食べたり、その付着の状態から自分の運勢を占う。
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 ミルティ青年が夜間学校へ行くので、私も付いて行った。教室は男より女の子が多く、どっちを向いても女の子だらけで、まばゆいばかり、授業前にミルティ青年は、教壇に上がって私を紹介した。すぐに仲間入りして、女の子からキャンディなどをもらう。
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 まず、物理の教授が現れ、ミルティが先生に私のことを伝えて、授業が始まった。60人くらいの学生は、みんな静かに聞いている。原子構造の話で、私も高校生の頃を思い出して、聞いていた。
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 1時間の授業が終わって、タバコタイム。男も女も一斉に教室の外でタバコを吸い始める。ユーゴスラビアでは、英語を話せる人がほとんどいない。学校ではロシア語を主にドイツ語、フランス語を教えていた。そんなことで誰も英語が話せないだろうと思っていたら、一人の女子学生が話しかけてくれた。親がイギリス人だということで、この学校のことをいろいろと教えてくれた。こちらの女性は、どいうわけかヒゲが濃い。少し変装すれば、すぐに男になれそう。その女性にもヒゲがあった。
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 その後の授業は政治と社会学だった。マルクス、エンゲルス、レーニン、毛沢東などの人物が次々登場した。
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 授業が終わった後、その先生の独演が始まり、学生たちはワイワイと騒いだ。
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 ミルティは有名な暴れん坊らしく、そのヒゲの女性は「オー。あのバカの家に泊まっているの。?」と大げさに驚いて見せた。なるほど、ミルティは活発で、授業中にもしばしば口を入れていた。

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1978/10/26   アクロポリス
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 ギリシャに入った。オリンポスの山のふもとで冷たい雨になった。雨の中を畑の中でキャンプした。翌朝、目を覚ますと、オリンポス山の上まで、真っ白になっていた。冬がどんどん近づいているようだ。早く、トルコ、イランを通過しなくてはならない。
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 ギリシャでは、アクロポリスを見つけた。町中のアクロポリスの遺跡は、あまり感動的ではなかった。
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1978/11/06   ロウソク
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 ギリシャ最後の町で、残りの金をすべて使い切った。ガソリン、パン、タバコ、ソーセージ、それにトイレットペーパーなどを大量に買い込んだ。イスラム系の国では、まず手に入らないと思った。
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 トルコ国境へ向かう。この日も北から冷たい風が吹いていた。高い山では雪が降っているはずだ。強い風にあおられて、フラフラしながら走った。
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 ギリシャ、トルコに出入国手続きは簡単に終わった。トルコでは税関がうるさいだろうと思っていたのだが、意外だった。もうヨーロッパとはお別れだ。中近東の国々は、かなり印象が違うだろうと想像して入国したが、トルコの景観はギリシャと同じようなものだった。アメリカとメキシコ国境のような変化はなかった。
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 100キロほど行くと町があった。別に買うものはなかったが、トルコの町の様子を見るつもりで、町に入った。ロウソクを暖房用に買う。町は静かなもので、予想以上に小ぎれいだった。ここはまだ小さいアジアなのだ。
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 また、少し走って、ガス補給。非常に安かった。35セントだ。50セントはするだろうと思って、両替をしていたのだ。また、トルコの金があまりそうなので心配になる。そのスタンドの店員たちは、ちょうど昼食中で、パンにオリーブの実と塩辛いチーズを食べていた。私も誘われて、ご馳走になる。もうすでに店内にはストーブが燃えていた。
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 トルコも森がない。今夜はどこで寝たらよいのだ。キャンプできそうなところを物色しながら走る。やっとちっぽけな松林を見つけたので、ここを逃したらもう無理だと思って、早めのキャンプをした。
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 だんだん夜明けが遅くなった。確かに東へ向かっていると実感する。
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 イスタンブールは大きな町だった。イラク領事館へ行ってみたが、ビザはもらえそうもなかった。シリア、イラクへ行くのはあきらめる。
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 町で買い物をして、アンカラへ向かた。ポラリス海峡の釣り橋を渡ると、もうアジアだ。ヨーロッパ側のトルコはギリシャより立派な家が建っていた。アジアトルコを走る。町中にイスラム寺院が目立つ。町は中近東らしく、だんだんにぎやかになり、いたるところで露天市が開かれていた。町には、工場地帯も広がり、なかなかキャンプ場所が見つからない。

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