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オートバイの旅(50)Pakistan-1978/11/30 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(50)Pakistan-1978/11/30

 

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1978/11/30          大きな菩提樹の下
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 パキスタンはイランとは違て人々は非常に親切だ。国境の役人は手続きを親切に教えてくれた。さらに税関事務所はここから100キロ先だとか、両替はその角の家でやっているとか・・・。私のパキスタンの第一印象は最高だ。
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 ところが、東へ行くにしたがって、衛生状態が悪くなっていった。町の食堂は汚く、ハエの大群には全く閉口した。風習も変わり、ミルクティーは、ポットに入れて出されたが、茶とミルクの割合は1対2ぐらいで、汚れた瀬戸物の茶碗で飲む味はダメだった。
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 国境から、延々と砂漠の道が続いた。あちこちに雨季の被害が残っていた。道は半分も削られ、橋も流されていた。とても雨季には通れそうにない。
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 荒涼とした道を500キロほど進んで、クエッタの手前の町ヌシュキに到着。オアシスの町で、緑があって、人間がいる。砂漠の中の道を進んでいるときは、本当に緑や人間が恋しくなる。ここからクエッタまでは急勾配の坂が続き、バイクはあえいだ。気温がどんどん下がり、また、羽毛の手袋をはめる。
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 クエッタは、ある程度の規模の町で、活気もあった。たくさんのアクセサリーを飾りつけたオート三輪のタクシーが忙しそうに走り回っている。

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 銀行へ行ったところ、店長に奥に来るようにと誘われて、ミルクティーをご馳走になる。その時に両替を頼んでおいたら、ミルクティーを飲み終える頃に、両替されたお金が私の手元まで届けられた。この銀行のサービスは他の支店でも同じだった。
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 パキスタンに入ってからは、イランで見た丸型やわらじ型のパンがなくなり、代わってチャパティが登場した。これは冷えてしまうとまずい。食堂の飯が安いので、旅に出て、初めて毎日食堂で食事をするようになった。カレー粉で煮た野菜やジャガイモをチャパティでつかんで食べるのはうまい。
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 パキスタンの人たちは、本当に親切で、私は、ほとんど毎日食事代を使うことがなかった。食堂へ行き、料理の鍋などを覗いていると、店主が出てきて「まあ。ここに座れ。」といって注文もしていない料理を食べさせてくれるのだ。もちろん、店主のおごりで、食後はミルクティを出され、更にハッシシまで勧められた。
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 町の人たちも気軽に食堂や家庭に誘ってくれた。ポリスも私のバイクを見つけると、ストップをかけ、ミルクティーを飲もうと誘ってくれるのである。
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 クエッタからインダス川を南下するにつれて、緑が多くなった。そして、インダス川のすぐそばまで来ると、大規模な灌漑のため、家のあるところと道路以外は、ほぼ水の中だった。この時はキャンプするところを見つけるのに困った。どの家にも庭らしいものは見当たらない。
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 早朝、このインダス川周辺は、もやがかかり、その中を牛車がゴトゴトと畑へ向かう情景は感動的だ。緑は本当に素晴らしい。日本の自然が、いかに恵まれているかをつくづく感じた。
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 景色はいいのだが、牛車の渋滞には閉口する。そして、道路は牛糞だらけなのだ。何もかも結構という訳にはいかない。

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 コレラで有名になったカラチに到着。絶対に生水は飲まないと思っていたが、食堂に入ってみると、誰もがコップの水をうまそうに飲んでいるし、あのカレー料理を食べた後は、水がぜひとも欲しいものだ。思い切って私もガブガブ飲んだ。
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 カラチの町は、これまでのパキスタンのイメージを変えるほど良かった。
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 インドの旅に備えて、ヤマハの作業場を使わせてもらって、バイクの整備をした。洗車をメカニック見習の青年に任せたら2時間もかかった。私は半日で終えるつもりだったので、自分でやることにしたが、皆が見守っているし、彼らの技量を疑うのも悪いと思って手伝ってもらう。マフラー、シリンダー、ピストンなどを外して、カーボンの掃除をし、更にクラッチ版、リードバルブの点検をした。1時を過ぎるとメカニックたちが帰り始めた。考えてみると、この日は木曜日で、イスラム社会では土曜日に当たることを忘れていた。日本の技術者から修理を習たという青年が残って手伝ってくれた。
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 スロットルケーブルを交換して作業が終わると、メカニックの青年2人が食事に誘ってくれるのでレストランへ出かける。店内が大理石張りの豪勢なところだった。彼らが私より安いものを注文したところを見ると、すこし、無理をして歓迎してくれているようにみえた。
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 ヤマハの隣にある専門学校の経営者に話しかけられ、学校の宿直室に泊まることになった。彼の家に行くと、子供が7人もいる。夕食は、まず主人と大学生と高校生の男の子の4人で、次に小さい弟たちがテーブルに着いた。女性は男の前では食事ができないのか、姿を見せなかった。
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 子供たちはあまり口を聞かず、静かに過ぎた。私が話しかけてもあまり話さない。パキスタンの上流家庭のしつけなのかもしれない。
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 カラチからインダス川に沿って北上し、ペシャワールへ向かう。

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 沿道の飯屋には、ベッドのような網椅子が並んでいる。その上に座って休んでいると、店の親父がミルクティでもどうだと、出してくれる。
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 キャンプをするために道路端の民家へ交渉にいくと、そこの親父が英語で対応し、自分の家に来いという。ついて行くと、そこは墓地のようだった。大きな菩提樹の下が祭壇になっていた。主人がそこに座り、私をすぐそばに座らせた。他の人たちも囲炉裏を囲んで座り、ミルクティーを飲み、そして、ハッシシが回された。
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 そこはどうやら新興宗教の集会場のようだった。広場には幟が上がり、銀紙が張り巡らされていた。変なところにもぐり込んでしまったようだが、面白そうだったので、そのまま居座り、夜遅くまで祭壇の前で、ゴロゴロして過ごした。
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 インダス川周辺は水蒸気が多いようで、朝起きると霧でテントが濡れている。川が一本あるだけで、今までの砂漠地帯の気候がこんなに変化するものかと驚いた。
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 パキスタンでは、民家の庭でキャンプすると、夕食と朝食が出された。また、食堂へ行くと店主や客がおごってくれた。非常に嬉しかった。しかし、一方で、プライバシーなんていうものはないようで、自分のすべてを公開しなくてはならない。時どき、やりきれなくなることがある。

 人々は朝が早い。私がそろそろ起きようかと思っていると、「いつまで寝ているんだ。」といってテントをめくる。私が叱ると、今度はテントの空気穴から覗く。やめろといっても平気だ。この国で、ひとりで落ち着けるところは、テントの中だけと思っていたのに、どこもない。キャンプをさせてもらて、食事を提供されて、こんなことは言える立場ではないが、早く逃げ出したい気持ちになった。挨拶もそこそこに出発する。
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 この日も私の機嫌は悪かった。食堂に入ると、またいろいろな連中が話しかけてくる。返事をするのも億劫だ。最初の頃はヨーロッパと違って、だれも彼もが話しかけてくるのが嬉しかった。でも毎回「なんていう名前だ。どこから来た。」の連続で、その対応に疲れた。
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 もう異国の風土、人間、文化・・・あらゆるものと衝突するのに疲れたのかもしれない。今までは、それぞれの国の人たちとうまくやってきたつもりだったが、もう限界に来たのだろう。肉体の疲れと同時に、精神的にもカルチャショックが積み重なって破綻しかかっているのだろうか。・・・「異国」に疲れた。
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 昼、食堂に入る。バイクを触るなといっても触る。道路を走っていると、トラックやバスが追い越してきて急に前に割り込む。子供が目の前に飛びだす。トラクターが農道から急に飛び出す。こんなことは、いつものことで慣れてしまっているはずなのに、いちいちカンに触るのだ。「この交通ルールも知らないバカたれども・・。」と叫びたくなる。
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 食堂で、むしゃくしゃしている私に、気の弱そうな若者が「何か飲まないか」と話しかけてきた。その前に私が食べた分まで払っていた。英語が話せる若者だったので、話をしているうちに、気分が少しずつ、ほぐれていった。
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 ムルタンの町の手前で、事務所のような建物があったので、その裏でキャンプさせてもらうことにした。事務所のようなところだから、変な男もガキもいない。事務所の人からミルクティーをご馳走になった。
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 今夜こそは人に悩まされることもなく、落ち着くことができると思った。ところが彼から今夜映画を見に行くから一緒にどうだと誘われた。OKしたのが間違いのもとだった。結局は彼の家で泊まることになり、その家に着くと、近所の大人ばかりか、子供までがぞろぞろやってきた。今夜も疲れるぞと思った。
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 彼はその辺りの地主のようで、皆が挨拶をしている。風呂に入れと言われ、畑の中へついていくと、大きな灌漑用の井戸ポンプ場があった。その大きな水槽に入れという。冗談じゃない。こんな畑の中で、裸になれるかと思った。
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 家に帰ると、私が寝る部屋には大勢の人がぎっしりと集まっていた。そして、私が何かしゃべるのを待っている。ほとんどの人が英語を知らないし、ただ黙って私を凝視するする人たちに何をしゃべれというのだ。食事が出た。米の飯と塩辛のようなものに、ジャガイモと大根の輪切りだった。
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 食後、英語のできる人が来た。獣医だというその青年は、「なんで、そんな怖い顔をしているんだ。」という。そんなこと答えられるか。こんな狭い部屋に変な奴がいっぱい集まって、じろじろと人のことを眺めては勝手にガヤガヤやっているんだ。
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 「疲れているんだ。そろそろ寝かしてくれ。」と言いたいのだが、こちらは親切なもてなしを受けている身だ。観念して旅行中の写真などを見せて、時間をつぶした。その写真はアフリカの村とか風景ばかりで、アメリカやヨーロッパのモダンな写真はなかった。村人はあまり興味がなさそうだったが、それでも熱心に見ていた。

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