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オートバイの旅(59)Adelaide-1979/08/03 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(59)Adelaide-1979/08/03

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1979/08/03          赤チン
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 鉄道がアリススプリングスまで開通していない頃は、ロバ、ラクダなどによって物資が運ばれていた。私は、その道を通って南下することにした。まだ、雨季は始まっていないから、そう困難なことはないはずだ。ガソリンを40リットルほど積んだ。凸凹の幹線道路からそれると、すぐに砂にハンドルを取られて転倒。ガソリン、水、オイルが満タンなので、すぐに立て直すことができず、通りかかった車に助けてもらう。
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 花の草原が続き、写真を撮りながら進む。道が悪いからスピードは遅い。ついつい路傍の草花に目がいく、大地を走ることを楽しみながら進んだ。前方に目の覚めるような赤い花を見つけた。初めて見るものだ。異様なぐらいに赤く、人間に瞳のように、真中に黒い目がある。その花に赤チンというあだ名をつけた。
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 オードナダタは、予想していたような村だった。歴史のある場所だが、今はさびれている。住民も白人よりアボリジニの方が多い。一応、警察も病院もあったが、西部劇の舞台になりそうな村だ。食料品と雑貨を売っている一軒の店で、4日分のビーンズの缶とパン、ビスケットを買う。
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 そこから道は悪くなった。石が多く、川越えする箇所も増えた。トラブルを起こした車の残骸が生々しく残っている。
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 また川に出た。水もきれいで浅いと思った。調べもしないで、突っ込んだ。対岸の手前が深そうなので、横へ逃げた。そこで前輪が石の上に乗り上げ、後輪は砂の中にめり込んだ。一人ではとても動かせない。といって後ろを見たところで、誰も来るはずがない。あれこれしているうちに、バイクは水中に倒れ込んだ。バイクを起こす前に、ぶら下げてあった大切な食パンの袋を取り上げた。やっとのことで、バイクを起こしてそこを脱出したが、その川は塩水だった。たちまち手袋、靴から塩を引き始めた。
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 ウイリアムクリークは、一軒のホテルがあるだけだった。ガスの給油はできる。そこでは、久しぶりの旅行者の私を歓迎してくれた。そこの大きな犬とも仲良くなる。そこで初めて、コブが一つだけのラクダを見た。昔は食料や水を運ぶのにラクダを使ていたのだ。
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 そこから250キロ先にマリの町がある。昔はラクダ、ロバの隊商の出発地があったところだ。この地方としても大きな町らしいが、水道がない。地下水は塩とマグネシウムのため飲めない。それぞれの家の横には大きな水槽があり、雨樋と結ばれている。その雨水はとてもうまかった。

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1979/08/23        生の世界
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 アデレードの町では、バイクの整備をし、ヤマハの技術者のヘインズが家に誘ってくれた。家には5歳、6歳の女の子、そして16歳のおとなしい男の子がいた。奥さんは夜勤の仕事をしている。最近買ったという中古の家は、二人でペンキ塗りや壁紙の張替をしたという。立派な家だ。
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 二人の女の子は、すぐ私になついた。こちらの子供たちは、私たち日本人も英語を話すのが普通だと思っているらしく、普通に話しかけてくる。するとヘインズが、私に分かるように、ゆっくり、はっきりと話してあげなさいと注意する。
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 ヘインズは、ドイツからこちらに来て10年ばかりだ。やっと家が持てるようになったので、ワインを飲み始めたという。今まで我慢していたのだ。すぐ近くにバロッサ。バレーというオーストラリアワインの名産地があった。
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 次の日は日曜日だった。私たちはワイン工場へ出かけた。工場に直販コーナーがあり、味見することができる。そんなところを4か所も回れば、ほろ酔い加減になり、顔も赤くなってしまう。
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 メルボルンに到着して、またバイクの整備をした。バイクは16万キロを走っている。修理やパーツの交換をしたらきりがない。クランクシャフトのウエイトの鉛が緩んでしまって、ベアリングに当たっていた。クランクシャフトは非常に高いので交換することはできなかった。

 2日間修理した後、旅の報告をするために新聞社へ行った。そして、帰るときにエンジンがかからない。恥ずかしいけど、新聞社の前でバイクをトラックに積み込んで修理工場へ持って帰った。
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 翌日は土曜日で作業場は休みだったが、特別に作業場を開けてもらい、自分でバイクを調べた。原因はオイルポンプの閉め忘れとオイルタンクの詰まりだった。
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 修理をおえて、山の中を通ってシドニーへ向かう。オーストラリアにこんなにたくさんの樹木があるのが、ウソのようだった。これまで砂漠地帯を2か月も走ってきたので、その樹木のある景観には驚きを感じた。スキー板を積んでいる車をよく見かけるが、それもまた奇妙に感じる。本当に東海岸は恵まれた土地だ。緑がいっぱいだ。
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 シドニーの中心部の摩天楼を川越しに見たときは、砂漠の景観のイメージと重なり合って、理解に苦しんだ。市内に入っていくのが怖いような気分だった。シドニーの町は起伏が激しく、非常に変化にとんだ美しい町並みで、町の中を走るのが楽しい。
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 東海岸に沿ってグレート・ドライブ山脈がある。それを超えると砂漠地帯で、人々はアウトバックと呼んでいる。東海岸に住む人たちにとって、そこは全く別世界なのだ。海側が生の世界なら、山脈の裏側は死の世界。
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 ブリスベーンまで北上して、砂漠の中の困難な道を求めて、マウント・アイザヘ向かう。

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