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オートバイの旅(58)Alice Springs-1979/07/16 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(58)Alice Springs-1979/07/16

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1979/07/16   これから先は 
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 ダーウィンからアリススプリングスへは、幹線道路を通らず、砂漠の中の道を行くことにした。タナミロードと呼ばれている道だ。そのためにバイクの点検を慎重に行い、リアタイヤ、オイルポンプ、クラッチ板の交換をする。
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 さらにツーリストオフィースヘ行き、タナミロードに関する情報を集めたが、よくわからない。手に入れたパンフレットに少し書いてあったが、大変なところらしい。4輪駆動車を使用することとあった。砂が深いらしい。約450キロは無補給で行かなくてはならない。調べれば調べるほど不安になる。道はあるのだ。トラックのワダチがある限り、進めないことはない。
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 アフリカの砂漠でも1日100キロは進めた。それと同じ準備をする。ラビットフラットまで5日かかるとして、その分の食料と水10リットル、ガソリン約50リットルを用意する。
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 ダーウィンからホールズクリークまでの約1200キロを走り、タナミロードの入り口に到着。そこでまた決心が揺らぐ。怖い。心配だ。サハラ砂漠を走った経験はあるが、バイクは15万キロ以上も走ったオンボロだ。
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 石ころの道が続いた。車のワダチだけの道になった。時どき、ワダチが交差するので、このまま進んでよいのか不安になる。ビリナルの牧場に着いて、道が正しいことを確認した。ワダチに沿って行けば、アリススプリングスに到着するが、牧場主は「これから先はさらに悪くなるよ」と注意した。
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 雨季の時期は大変らしい。あちこちに車が泥につかまり、もがいた跡があった。だんだん砂が深くなった。アボリジニたちが使用していた車が、よく転がっている。途中、車のそばにアボリジニの若者が立っていたが、私はその横を通過して行くしかなかった。彼もまた助けを求めようとはしなかった。

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 車のタイヤの跡も残らないほどの砂になった。さらに、登り坂になってしまった。両足を出して勢いをつけて、1メートルほど進む。それを何度も繰り返して坂を上っていく。そのうち、エンジンはオーバーヒートして力がなくなった。そんなときは私も疲れ切っているので、休憩だ。今までの経験から非常に悪いところは、そう何十キロも続かないことを知っていたから、1メートル刻みで進むことに対して、そう絶望的ではなかった。
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 前方から3台の4輪駆動車がやってきた。砂地のワダチ道だから、すれ違うのも大変だ。できる限りワダチの端にバイクを寄せた。すれ違う時に、男が心配そうにどこまで行くんだと聞いてくれた。アリススプリングスまで行くことを伝えると、男はあきれた顔で「これから先は、もっと砂が深くなるぞ。」といった。
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 その言葉を聞いて少しは不安になったが、まだ、私には余裕があった。本当にダメになったら引き返せば良い。しかし、完全にダメだと思うところまで乗り入れて、バイクを反転させるのは、前進する以上に大変だろう。
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 多少のトラブルはあったが、どうにかウエストオーストラリア州とノーザンテリトリー州の境まで進んだ。そこからは砂利の道路に変わり、簡単にタナミ、ラビットフラットにたどり着いてしまった。意外だった。アリススプリングスまでは、砂と闘いながら進む覚悟だったし、それなりの準備もしてきたのだ。
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 このコースの走行距離は、約1000キロで、2か所でガスの補給ができる。ラビットフラットは牧場で、ガソリンと冷凍食パンなどの食料も売っていた。そこには、双子の男の子がいた。久しぶりに人に会えたのが嬉しいのだろう、そこの主人と話していると、彼も近づいてきた。もちろん、バイクにも興味があった。父親が「さわるな。」と大声で叱りつけた。子供たちは泣きべそをかきながら家に逃げ帰った。こんな砂漠の中でも、父親のしつけは厳しかった。
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 もう一つの補給箇所はユエンドゥムというアボリジニの村だ。ここは白人によって管理運営されているようだった。若者の集会所、学校、スーパーマーケット、警察がある。この居住区に入るには許可書が必要だが、ただ通過するだけなら許可はいらない。
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 村のまわりは、汚れたテントや小さな小屋が集まっている。白人社会の住居とあまりの違いにショックを受ける。

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1979/08/09    花園の中
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 アリススプリングスの町は、砂漠の真中にあった。まさにオアシスの町だ。砂漠を越えてきた者に安らぎを与えるものがある。
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 この町でアマチュア無線家に会う。ヤマハバイクの店に主人で、コールサインはVK8NOC。私もハム仲間の一人でコールサインはJR1XPOだ。毎日、日本の局が聞こえるから、久しぶりに日本語を話してみないと家に呼ばれた。
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 コンディションが悪く、JA3,JA1エリアは取れなかった。そして、交信できたのはJA6(鹿児島)のJA6VOYだった。相手はびっくりしているようだった。オーストラリアと交信している最中に、突然日本語を話す奴が出てきたのだ。もちろん他の局の人たちは、私たちの交信がDX(国際通信)だとは思わなかっただろう。
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 日本の局と交信していると思うと私も興奮してきて、声が上ずった。非常に嬉しかった。最近の日本のニュ―スなどを聞いた。オーストラリアでは冬の最中で、私はズボン下をはいていたが、鹿児島のVOYさんは、非常に暑くて困っているなどといっていた。私たちの日本語のQSOをここのVK8NOCさんは不思議そうに聞いていた。
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 アリススプリングス周辺を1周した後、アヤーズロックへ向かう。削ったばかりの道で、砂の窪地が多く、少し苦労する。幹線道路へ出てからは道幅は広いが、ひどい洗濯板で、これがやッかいだ。
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 砂漠の中に忽然と生えた大きな岩。アヤーズロック。1周約90キロ。高さ335メートル。この巨大なものが一つの岩だと思うと楽しくなる。夕日を浴びて赤く染まっていくときは、台地から噴き出した溶岩のようだ。いかにもこの大陸を象徴する神秘な存在だ。
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 35キロ先のある神の山マウントオルガは、花園の中にあった。白、黄、赤の花が咲き乱れて美しい。こんなにたくさんの花が咲いているのに、ここは砂漠というのだろうか。小鳥も蝶もいる。まるで、別世界だ。非常に気に入って写真を撮りまくった。私は、ちょうどこの地域の雨季が終わり、一斉に草花が咲きだすときに出くわしたようです。
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 帰りには、アヤーズロックの頂上に登ってみるつもりだったが、空腹で我慢ができず、あきらめてキャンプ地へ戻った。毎日一回食べるビーンズのトマト煮とパンがあまりにもうまくて、早く食べたいのだ。
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 次の日、花園の中を通って、アデレードへ出発した。

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