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オートバイの旅(60End)Perth-1979/09/17 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(60End)Perth-1979/09/17


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1979/09/17        ソーセージ
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 ブリスベーンから約2000キロを進んで、マウント・アイザに到着。砂漠の中の鉱山の町だ。大きなヤグラの下に町が広がる。
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 ここで一息ついて、砂漠を通って、再びアリススプリングスへ行く準備をする。食料を1週間分購入し、バイクの整備をする。特にバッテリーが不調なので入念に行った。そして、警察へ行き、出発日と到着日を報告してアリススプリングスへ連絡してもらった。到着日予定日を2日過ぎても、私が向こうの警察へ現れない場合は、捜索開始されることになる。
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 何しろ、ここのポリスたちは、これから私が行こうとしているルートに関して、まったく何も知らないのだ。その地域に足を踏み入れた人が一人もいないので、かれらの心配顔を見てしまった。
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 さあ出発だ。とメインスタンドを外したとたんに、ひっくり返てしまった。ガソリン40リットル、それに水、オイルを満載している。ものすごく重い。これで砂地を走れるのだ。いや1メートルと少しずつ前進するのだ。
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 ノーザンテリトリーの州境へ向かう。ウランダンジの牧場までは、普通の凸凹道だったが、強風で苦労した。
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 悪路に入ると、待ち構えていたのは砂地ではなく、砂埃が堆積した大きな溝だった。その埃の下は砂岩がゴロゴロしている。川を渡った要領で進む。もうもうと砂埃が舞い上がる。エアクリーナが詰まってしまう。大型トラックが作った深いワダチなのだ。とてもまともには進めない。タイヤはワダチの中で、両足はワダチのてっぺんを蹴りながら、歩くように進む。
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 州境を超えると、つくられたばかりの砂利道に変わった。残念ながら、予定日数の半分でアリススプリングスに着いてしまった。
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 アリススプリングスの町は2度目だが、まさに砂漠の中のオアシスで安らげる。すぐに警察へ行って到着を知らせ、またアヤーズロックを経由して、パースへ向かうことを伝えた。
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 身体がだるく、筋肉が弱くなったことを感じてきたので、栄養をつけることにする。旅も終わりに近づいたので、少しぐらいは贅沢をしても良いだろう。ミルク、オレンジジュース、チーズ、バター、ソーセージを大量に買い込んだ。誰もいない河原でキャンプする。バターはすぐに溶けてしまうので、手早く20近いサンドイッチを作り上げた。


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1979/09/22          空き缶
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 自分で作ったサンドイッチはうまい。3食分だ。今から食べるのが楽しみだ。アリススプリングスの最後の夜、すごい砂嵐に襲われた。砂が雨のようにテントをたたいた。テントの下から砂が吹き込み、息苦しくなる。そうしているうちにテントの支柱の杭が抜け、テントがつぶれた。仕方がないので、支柱を手で支えながら寝る。
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 翌朝、目が覚めると嵐は納まっていたが、テントの中は砂が積もって真っ白だ。
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 以前に道路で拾って修理したラジオが、天気の急変を告げていた。これから最後のコースが心配だ。雨でも降ったら、たちまち泥道になってひどい目にあうことになる。
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 バッテリーが不調で、液面の低下が激しい。オーバーフローしている。バッテリー本体が悪いのか、ジェネレータがおかしいのか、それともレギュレータが悪いのか。町を離れてからエンジンがかからなくなったら困る。とりあえず、バッテリー補充液だけを入れ、アヤーズロックへ向かう。幹線道路との分岐点まで来ると、雨が降り始めた。たちまち路面に雨水がたまるようになった。道路の表面は雨水をふくむと滑って危険だ。食料も水もあるので、2日間のキャンプをした。破れたズボン、カッパ、ザックの修繕をして過ごす。
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 2日目にやっと道が乾き始めたので出発する。水を少し含んでいて、土のしまりがよくなったので、快適にアヤーズロックに到着。
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 アヤーズロックから先が、どんな道になるか分からないので、警察へ行き、これからラベルトンへ行くので、向こうへ連絡をしてくれと頼んだ。バイクで行けるわけがない。と相手にしてくれない。さらに無線機も持たないで行くのは無茶だと叱られた。
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 それから、2日間滞在して道が乾くのを待った。キャンプ地で、車で旅行している日本の青年2人に会い、久しぶりに日本語を楽しんだ。
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 マウントオルガを過ぎると道が狭くなり、厳しいコルゲーションになった。恐ろしいほどの振動だ。すでにリアクッションはオイル漏れを始めている。あまりの振動でマフラーの固定金具が割れてしまった。
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 ギブソンとグレートビクトリア砂漠の真中を進む。相変わらず赤い砂とブッシュだけの世界だ。アヤーズロックから200キロの地点にある岩洞窟でキャンプする。


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 次の日は、ロックリバーというアボリジニの居住地で、ガソリンと食料の補給をする。さらに洗濯板の道を西へ進む。何もない。ウエストオーストラリア州に入ると意外に道がしっかりしてきた。風車のあるところにはアボリジニの村があった。また砂で苦しむようになった。キャンプしようと道からそれたとたん、バイクが砂の中にもぐってしまった。脱出するのに一苦労した。分岐点でキャンプしていると、夕方になって、車でキャンプしている白人の3人組がやってきた。私の横でキャンプしても良いかと聞いてきた。
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 彼らは簡単に火をおこし、コーヒーをいれてくれた。カラカラに乾いた砂漠の中で飲むコーヒーは、驚くほどうまかった。彼らの2人は教師で、私たちは夜遅くまで話をした。
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 彼らは、私が全く炊事道具を持っていないことを知ると、空き缶に針金を通して、ヤカンを作ってくれた。そしてインスタントコーヒーを1びんプレゼントしてくれた。更に火の起こし方まで教えていった。この乾燥地帯の灌木は乾ききっているので、マッチ1本でOKだ。
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 それ以来、毎晩、火を起こしてコーヒーを飲むのが楽しい習慣になり、おかげでなかなか眠れず、睡眠不足になってしまった。
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 また、バッテリーの状態が悪化した。液面の低下が激しくなった。どうやら放電はしていないようなので、過充電による蒸発かもしれない。レギュレータがいかれてしまったらしい。ヘッドランプをつけて過充電を押さえるようにした。
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 ブラックストン・キャンプからは、大地の色が黒く変わり、砂利になった。
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 ワルバートンミッション、ここはアボリジニの町だ。雨季になると交通が遮断されるので、大きな食料ストックがあった。ここにはガレージがあったので、バッテリーの点検をする。ライトを付けていけば何とかなりそうだ。長い間、洗濯板の道が続いたので、ステアリングがいかれてしまい、嫌な音がする。
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 6日目にラベルトンの町に到着。そのまま予定のコースでパースへ向かう。カルガリーの町まで来ると、またラジオが聞こえ始めた。「州浜」という歌が日本語で流れてきた。もう旅も終わりに近いことを感じた。
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 次の町で突然、エンジンが止まり、ランプが消えた。ヘッドランプとフラッシュランプをつけたまま走ってきたので、逆に完全にバッテリーが空になったのかと思った。しかしヒューズが飛んでいた。
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 今度はエンジンから異常音が発生。クランクシャフトがぐらぐらになってしまったのだ。ジョイントが抜けてしまったらしい。あとひといきだ。最短コースをとって、パースへ向かった。
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 パースに到着後、クランクシャフトとピストンを交換し、バイクを日本へ送り返した。


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・最後に、長い間、読んでいただき、ありがとうございました。
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・これは1980年に、旅の日誌をそのまま書き写したものです。日時、場所の間違いや、そして良くない表現があるかもしれません。お許しください。


・この旅の全写真集は下記のブログにあります。


 http://tamaiyozo1976.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305310727-1


 



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