オートバイの旅No.16マレイシア・タイ [オートバイの旅]
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
約20回の予定で掲載したいと思います。
今回は No.16 マレイシア・タイ・シンガポールです。
タイトル写真 ※写真をクリックすると拡大表示されます。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーインドに戻ってきました。ヒンドゥ教の神様が描かれています。
ーヒンドゥ教の神さんが、この中にいらっしゃいます。あちこちに、いらっしゃいます。
ーこの大木の下にも、いらっしゃいました。ここでキャンプをしたら、夜遅くまで付き合うことになりました。
ーガンジス川の反対側に寺院がありました。
ーカルカッタに到着。安宿には、日本人の先客が居ました。(コルカタ)
ー町中を象が歩いている。大きな落し物をしながら、歩いている。
ーこうして真正面に来れれると、困ります。でも、象に乗る人間はかっこ良い。
ーカルカッタからマレイシアへの船があると思ったのですが、マドラスからでした。(チェンナイ)
ーマドラスへ向かいます。
ーバイクのホイールがアルミに変わっています。ドイツのyamahaがつけてくれました。
ーここでも歓迎されたようです。綺麗に一列です。
ーマドラスに到着。宿には日本の青年が居ました。
ー船はロシアの客船でした。
ー私のバイクの積み込みです。落とすなよ。ぶつけるなよ。と叫びました。
ー船の上では、野ざらしでした。
ーいさ、マレイシアへ。外人は特別クラスでした。船は揺れました。苦しいぐらいに揺れました。
ーでも、毎晩ご馳走ですので、ふらふらしながら食堂へ向かいました。こんな情景は、この時だけです。
ーマレイシアのペナン島に到着。
ー漢字の看板が、あちこちにある。驚きでした。
ー高床式の民家も新鮮でした。
ー素敵な熱帯の情景です。
ータイのバンコクまで海岸沿いの道を行きましたので、たびたび、このような海岸でキャンプです。
ー商店で買物です。タイではパンがあまりないので、屋台でラーメンを食べました。安い。
ーこの民家でキャンプです。
ーお兄ちゃんは嬉しそうです。
ーもう気温が、どんどん上がり、頭が痛くなるほどでした。ここに写る大きな壷は水がめです。
ーここでもキャンプです。しかし一度だけ、ここは不味いと感じ、テントを畳んで移動しました。
ー海岸では魚の干物も盛んに作っていました。
ーバンコクの船です。
ーバンコクまで28kmとあります。
ータイの首都バンコクに到着。寺院です。
ー綺麗ですね。
ー寺院はタイの景観を作っています。
ー殆どの町には、寺院があると思います。
ーこんな守り神の仁王が居ました。
ーこの屋根の形に、しびれます。
ーバンコク市内です。
ー若い修行僧の休憩時間です。白いものは花のようです。
ーバンコクから北部の町、チェンマイへ向かいました。
ーここにも寺院があった。
ーここでキャンプです。
ーチェンマイに到着。
ーこんな建物を見つけました。何だろう。屋根が魅力的です。
ーこの民家でもキャンプ。
ーこの民家では、家の中で寝ることが出来ました。皆が歓迎してくれました。
ーしばらく滞在したのですが、いつも彼女が同行してくれたのです。だから、少し好きになってしまった。
ーマレイシアへ戻ります。
ーここでも、お世話になったようです。
ーマレイシアのクアラルンプールに到着。
ー大きな町です。
ー公園へ行ってみました。
ーこのような壁画ありました。1941年に日本の兵隊が居ます。
ー民家は、このスタイルです。
ー狭い道路を行きます。これは裏道でしょう。
ーここにもマレイシアらしい民家がありました。
ーこれは観光スポットです。
ーシンガポールへ向かいます。
ー途中で休憩。
ーシンガポールに到着。
ー市内ではモトクロスの大会がありました。
ーシンガポールからオーストラリアへの船の出航まで時間がありましたので、市内見学です。
ー軟膏のタイガーバームで、お金持ちになった人の公園です。
ーこちらはユースホテルの子供たちです。妹は山口百恵さんのようです。
ー私は皮ジャンパーを脱ぎ、涼しそうな格好です。
ー市内観光は、旅行代理店の彼女に案内してもらいました。
ーシンガポールから船で、オーストラリアの港フリマントルに到着。
ーパース市内です。
ー港の観光案内所で、この宿を教えてもらいました。一軒の家を数人の共同で使うのです。
ーパースから北部の町ダーウィンへ向かいます。
ー乾燥した大地にも綺麗な花が咲いていました。
ー
ー次回の旅は No.17オーストラリア(パース・ダーウィン)です。
ー「玉井洋造の旅」のホームページはこちらです。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/