● 29 canada mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No.29 カナダ・アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーガソリンスタンドの経営者家族。声を掛けてもらいました。
ーアメリカとカナダに挟まれた五大湖の一つです。(スペリオル湖)
ーyamahaRD400です。彼も寒そうですね。
ースーパーで出合った若者。彼女が食事に誘ってくれました。
1976/08/16 アラスカの国境
-
体がだるく起きるのがつらい。朝から雨が降り続き、路面はぬれていた。
森林の中を進むとアスファルト舗装に変わった。そこがカナダとアラスカ州(USA)の国境で、それを示す看板があった。日本を離れてから最初の目的地について。大感激。そのことを誰かに話したいが、自分ひとりだ。寒く冷たい雨は、アラスカ入国にふさわしく、その自然の厳しさを知る思いだ。
-
● 30 canada mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No.30 カナダ・アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ー東に進むに従い、人との出会いも増えました。
ーオンタリオ州。
ーモントリオールで、彼らの家に3泊ぐらいしました。
ーhonda CB750の若者。
-
アラスカ側の国境事務所は、山の中の道路をまたぐようにして建っている。バイクの通関手続きに手間取って、日本の3世の若い係員と親しくなり、サクラメントの彼の実家の住所まで教えてもらった。
-
● 31 USA mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No.31 アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーカナダからアメリカに入りました。
ー女性のバイク野郎です。
ー結婚式に出会いました。
ーよく覚えていません。私とどういう関係なのか。
-
コーヒーを飲んだ店で、36歳になる金髪のアメリカ男とあった。仕事を見つけるために、アンカレッジまで行くそうだ。荷台には小さなカバンが1つだけ積まれている。まるで家出のような姿だ。
「また、どこかで会おうや」と言ってこのシー君と別れれるが、行き先が同じフェアバンクスなので、その後たびたびであった。私がスーパーマーケットで買い物していると、シー君が私のバイクの横でニコニコしながら待っていたりする。
夕方、私たちはテリン・ジャンクションでキャンプ。すでに私はパンとサラミソーセージだけの食事になっていたが、お互いの食料を分け合って食べた。シー君はスープを暖めた。
-
● 32 USA mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No.32 アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーデザインに関して。こんな柱の取り付けもあるのです。
ーカナダで出合った若者の家です。まだニューヨークには戻っていませんでした。
ーこのデザインが気になって見ました。柱が斜めです。
ーハーレーのカスタムバイク。乗りたいーーー。
-
夜、雨が降り出した。シー君はテントを持っていなかったので、私のテントに入るように誘ったが、彼は断って大木の下で頭からビニールシートをかぶって寝てしまった。次の日の朝、心配して「寒くなかったか。雨に濡れなかったか。」と聞いてみたが、彼はよく眠ったらしく、目をこすりながら「ああ、よく寝た」と言ったものだ。
私は朝のバイクの点検があったので、彼が先に走り出した。そして昼頃に、私が何も知らずにカフェーに入っていくと、そこにちゃんとシー君がいた。
-
● 33 USA mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No.33 アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ー疲れたーーー。レストエリアで
ー風呂には入っていません。毎日がキャンプだ。
ーアメリカ人の家族と会いました。
ー旅行を応援してくれた会社の人たち。
-
4時半までバイクを進めて、マッキンレー山公園に手前でキャンプする。谷の中の道路わきだが、強い風が吹き、テントを張るのが大変だった。
-
● 34 USA mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No.34 アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーアルファベットの国際プレートです。
ーこのバイクは、Championさんから提供してもらいました。
ー長期の旅行には、このタイプのものはだめで、ゴーグル着用にしました。
ー万一のことがあっても、家に帰れるように記入しました。
-
フェアバンクスでアラスカハイウエーは終わる。この7日間のダート走行で私は疲れ切っていた。転倒する、石は飛んでくる、大型トレーラーの風圧にはあおられる。雨が降り続いて道路はドロドロだった。アラスカの国境を示す看板とそこから始まる完全舗装を見て、胸が熱くなったのを覚えている。また、そこに立った時は雨が降り、寒くてアラスカ入りするのにふさわしい気候だった。
-
● 35 USA mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No.35 アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ー2ストロークは整備が簡単だ。キャンプ地でシリンダーを外し点検整備。
ーアメリカの蒸気機関車。大陸を横断したのです。
ーテキサスの州道路です。隣はルートNo.70。
ー農場では柵が延々と続くのです。だから私はキャンプ場所が見つけられない。
-
都会生活に飽きた、また完全舗装のフリーウエイに飽きたアメリカ人がアラスカの自然とこのアラスカハイウエイに冒険を求めてやって来る。それほど昔のままの自然が残り、キャンピング場やレストエリアも自然を破壊しないように作られている。自然の中にいる自分の存在を感じることができる。
-
● 36 USA mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No. 36 アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ー時には、このような所にテントを張りました。広いからです。
ー東海岸へ向かっています。
ーロッキー山脈。
ーネバダに入ると砂漠公園がありました。
1976/08/18 マッキンレー山
-
昨夜は、なぜか3回も夜中に目が覚めた。またしても朝から雨が降り続いており、気分がすぐれないが出発だ。チェーンの掃除と給油をする。テントの周りは白、赤、黄色の野生のケシの花が咲いていた。素敵だ。こんな寒い土地でよく咲くものだ。
-
● 37 USA mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No. 37 アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーサンフランシスコまで乾燥地帯が続く。
ーこれが何の施設だったか忘れました。キャンプ場かな。
ーロッキーを越えて更に西へ向かいます。
ーアーー何もない。確か核実験はこの近くです。
-
公園の中を進んでいくと、ストップというサインがあり、それから先は無料のバスで行くようになっていた。車の量を減らして、その自然破壊を防いでいるらしい。アラスカへ来た目的の一つは、このマッキンレー山を見るためであったが、荷物も多いし、この雨じゃ見えないだろうとあきらめた。毎日前進することに慣れてしまっている私には、一日とどまって、マッキンレー山を見る気にもなれなかった。
-
● 38 USA mobile [オートバイの旅モバイル版]
オートバイの旅(玉井洋造の旅1976世界) モバイル版
No. 38 アメリカ mobile
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーこのような場所まで来ると、キャンプ場所を探す苦労はありません、
ー典型的なサボテンが見えます。
ー色々なサボテンが写っています。もちろん私はキャンプしました。
ー朝になると、テントの周りに大きなトカゲの足跡を見つけます。
ーサボテンの花です。
-
公園内のガススタンドで、アメリカの青年が達者な日本語で話しかけてきた。大学で日本文学を専攻して、2年間日本に滞在したという青年は、ここで夏の間だけ日本語のガイドをしていた。彼はこの公園について話してくれた。私がストップをかけらた道路の真ん中にある小屋は、去年できたそうで、それ以来、公園の管理は非常に良くなったという。また、マッキンレー山の登山者の救助に関しては、1500フィートまでの登山は自由だが、それ以上は許可を取らなくてはならない。しかし、最近の登山ブームで、いくら貧弱な登山パーティーでも、登山中止の強制はできないという。そして遭難救助の費用は公園が全部まかなっているそうで、登山者に遭難保険をかけさせようとしたが、裁判で保険の強制は、その金の払えないものから登山の自由を奪うものだとして、ダメになったという。
-