オートバイの旅No.11チュニジア~フランス [オートバイの旅]
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
約30回の予定で掲載したいと思います。
今回は No.11 チュニジアからフランスです。
タイトル写真 ※写真をクリックすると拡大表示されます。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーアルジェからチュニジアへ海沿いの道を行きました。
ー牧草地が広がります。
ーちょうど、さくらんぼうの花が咲いていました。日本の春を感じます。
ーもう何度かグリップを取り替えました。
ーすでにウインドシールドはありません。どこかで割れてしまった。
ー上着やズボンの修繕はたびたびやっています。特にザックの修繕は大変で、釣り糸で縫いました。
ー手袋は、この他にスノーモービル用を持っています。足にはスパッツをはめます。暖かい。
ー本当に牧歌的です。
ー男の子が水仙の花を集めて、嬉しそうに遊んでいました。
ー偶然見つけました。綺麗です。
ーそしてチュニジアへの入国です。
ー幹線道路沿いにあった遺跡です。
ー石の遺跡だ。更に雑草の茂らない土地だから、綺麗に保存されている。
ー国境で残りの小銭を数えていたら、他の観光客がくれて、更に増えてしまった。小銭は全てガソリンで使い果たします。
ー首都チュニス。アラビア語のコーラの看板です。
ー広場で休憩していたら、かれらの弟に拾われました。
ー立派な家もあります。
ーガソリンスタンド。ESSOの文字もアラビア語。
ー住宅地です。古いフランスの車が多く走っています。
ーこんな建物もありました。ホテルかな。
ーこの小さい子が、広場にいた私に声を掛けました。「ボクの家においでよ。」裕福な家ではなかった。
ー彼も私を歓迎してくれました。兄貴のように思えたようです。彼のベッドに私が寝て、彼は床に寝ていました。
ー男の子のお兄ちゃんがこの遺跡を案内してくれました。
ー本物の石の遺跡です。
ー広場にはベンケイソウが咲いていました。
ーこの子が長女のようでした。みんな良い子だ。
ー素敵なお母さんでした。小銭を貰って、近くの銭湯へ行ったのが忘れられません。
ー建物は、全て白色だと思いたくなるようでした。
ーここも真っ白です。
ーもちろん例外もあります。でも、お金がないからでしょう。
ーアルジェリアへ戻り、山道のカーブを曲がった時、激しく転んでしまいました。転倒にも慣れていたのですが、このときはだめでした。歩けない。そこで、この農家に助けを求め。納屋に寝かせてもらいました。
ー私を納屋に寝かせ、さらに食事も与えてくれました。ただただ感謝です。一週間以上、居たと思います。
ーお父さんですね。
ーこの3人で畑を守っているようでした。
ー元気になり、旅の再開です。いつものようにここでキャンプ。
ーワジには椰子が茂ります。
ー走り出して直ぐに、今度は交通事故です。情けないことに羊と衝突。私は少しの間、気を失っていたようで、気がついたら大勢の人がいました。羊は即死、私は手首の骨折でした。
ーなかなか、話しかけられなかった看護婦さんです。素敵でした。
ーバイクは幸いダメージはありませんでした。
ーちょっと冷たい看護婦さんです。私は10人部屋で一ヶ月間、遊んで過ごしたのです。
ー一月後にここに戻れば、ギブスを外すと言われました。行くところがないから、ここに泊めてと頼みました。
ー白衣の男性がポーランド人の院長でした。
ー退院後も親しくなった若者の家で滞在しました。彼は入院中、歩けないほどでした。
ーモッロコで走行距離が10万キロを越えました。
ースペインに到着。
ー旅行中に知り合った人たちの家を訪ねました。彼もその一人です。
ーマドリッドです。
ーアフリカより物資が豊かですが、気ままなキャンプは出来ない。
ーポルトガルの首都リスボンへ向かいます。
ー舗装工事の古い車両が大切に保管されています。
ーたぶんリスボンです。
ーリスボンの町並みだと思う。
ー素敵な街路です。
ーフランスにやってきました。
ーフランスでも旅で知り合った青年の家に滞在しました。
ー古いィ町並みは素敵です。
ーサクレクール寺院の近く?。
ー私はただ歩き回っただけで良く分からない。
ー寺院の内部。
ーこれがサクレクール寺院。
ーその広場でパチリ。パリを案内してくれました。
ー出発する日です。青年とお母さんです。パリ祭りも見ることができました。パーティも行きました。感謝。
ードーバー海峡を越えて、イギリスへ向かいます。
ーイギリス入国手続き。
ーイギリスは建物の全てがレンガ壁です。例外はなし。?。それと煙突。
ーロンドンでも旅行中に知り合った青年の家などに行きました。
ー地味だけど、私はこの景観が好きです。
ー友達になった青年の家がある団地です。
ー中庭には花が一杯です。
ーこれが友達のバイクです。これでアメリカを旅行していました。
ーこの階の部屋に両親と一緒に住んでいます。私は彼のベッドを使い、彼は居間のソファーです。
ーロンドンのタクシーです。
ーロンドンブリッジ。
ーヨーロッパへの上陸が遅くなったので、急がなくてはなりませんでした。更に、今までのように好き勝手にキャンプが出来ないのが大変だった。畑の角や小さな空き地に暗くなってからテントを張りました。どこもインターチェンジは広い空間があります。
ー次回は、No,12 イギリス、スエーデン、スイスです。