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オートバイの旅(21)USA-1976/10/26 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(21)USA-1976/10/26

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1976/10/26   パンク修理
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 朝5時に起きて、キャンプ場内の公衆電話から日本の実家へ電話をする。
 コインを入れずにダイヤルのゼロを回すと、町のオペレーターが出る。そして州都のデンバーの電話局につながる。そこから東京につながる。そして大阪の実家につながる仕組みだ。日本の交換手が私の名前とコレクトコールであることを確かめる。その時の交換手の日本語は美しかった。3分以内に電話を切るつもりだったので、伝えることを要約していたのだが、話が始まると、家族全員が出て、5分以上になってしまった。
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 アリゾナ州は牛や馬が多い。柵がないので、よくハイウェイの上をうろついている。US160号線を進んでいるとき、足をしばられた馬がハイウェイの上で立ち止まっている。ホーンを鳴らしても足を見ているだけだ。さらに近づくと、あわてて、うさぎ跳びのような格好で逃げて行った。
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 もっと怖いのが牛だ。鈍いのか、近眼なのか、バイクが近づいても気づくのが遅い。そして、びっくりして、それぞれ勝手な方向へ逃げまどう。ばかなやつは、バイクに向かって突進してくる。
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 アリゾナ、ニューメキシコ、コロラド、ユタ州が交わるポイントに向かっているとき、舗装工事現場にぶつかった。アスファルトが跳ねて閉口する。後輪が左右によろめく。パンクだ。下り坂でのパンク修理はやりにくい。その横を工事のダンプトラックが行ったり来たりする。原因はコーラの蓋のリングだった。修理に1時間もかかってしまった。
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 アメリカも南部まで来ると、ロードサイドはゴミでいっぱいだ。ハイウェイに沿って缶やビンが切れ目なく転がっている。

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1976/10/27     奇怪な岩肌
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 朝の寒さは、ますます厳しくなった。50キロも進むと、手足が痛くて我慢できない。羽毛の手袋も限界で、寒さに勝てず親指が痛む。足をエンジンケースに置いてみた。少しは熱が伝わってくるようだ。あごも風が当たりキリキリ痛む。足が千切れそうになって、こらえきれずにカフェーに飛び込む。
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 ユタ州にあるレッドキャニオンは、名前のとおり、道路も崖も真っ赤だった。まだ、キャンプするには早いので、プライスキャニオンへ行く。標高3000メートルのレインボウポイントでは、風化によってできた奇怪な岩肌が見られた。人間が無数に立っているように見える。

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1976/10/29    セルフサービス
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 今朝はさらに寒い。寒暖計はマイナス10度を示していた。昨夜は登山用靴下2枚、パッチ、皮ズボン、オーバーズボン、上は肌着、登山用シャツ、セーター、ヤッケ、革ジャンパー、雨合羽2枚を着て、寝袋の中で寝たので凍え死ぬことはなかった。
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 US89号線を30分も南下すると、足の指の感覚がなくなった。カフェーに飛び込み、コーヒーを注文する。足が震え、手の感覚もおかしいので、カップが上手く持てない。女主人が湯の中に手を入れて暖めたらどうだと言ってくれた。助かった。
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 ラスベガスに近い。ある町のスーパーのパーキング場に入ると、50歳ぐらいの婦人から「英語、わかりますか?」と声を掛けられた。その婦人の子供が日本へ行っているので、私に興味を持ったらしく、家へ招かれた。
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 家には男の子が3人、女の子が4人いた。まことににぎやかな家だ。他にまだ3人の男の子がいるという。上の男の子たちは忙しくて、私の話し相手はもっぱら11歳の双子の女の子だった。昼になって子供たち7人の食事が始まった。すべてセルフサービスだ。居間に小さなテーブルを並べ、それぞれが皿とカップを持って台所に並んで盛り付けてもらう。まるで学校給食だ。
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1976/10/31    双子の女の子
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 日曜日、父親と子供たちは教会へ出かけた。私も一緒にどうだと誘われたが、着ていくような服がなかったので辞退する。
 ご主人はコンピュータのプログラムの仕事をしていて、週給は350ドル。趣味はハンティングで、昨夜は鹿肉をごちそうになった。夫人はよくこえた人で日本でいう肝っ玉母ちゃんである。子供の世話で、休む暇もないようだ。10人の子供を育てるのは大変でしょうと聞いたら、「それが私の仕事ですよ」と返ってきた。そんなお母さんが更にもう一人の子供、私を拾ってくれた。
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 長男と次男はブラジルで教会の仕事をしているといる。21歳と20歳だ。3男は19歳で、やはり北海道の岩見沢で教会の仕事をしている。4男は大学1年生で電気を専攻していっる。5男は高校生でフットボールのメンバーだ。6番目は高校生の長女。一番おませでニキビで悩んでいた。7番目が中学生で野球のうまい6男だ。たくさんのトロフィーを持っている。夕方には新聞少年に変身する。早く高校生になって、フットボールをやるのが夢だ。彼が私にベッドを貸してくれて、彼は居間の長椅子に寝ていた。
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 8.9番目が双子の女の子で、11歳だ。とてもよく似ている。おとなしくて優しい子たちだ。10番目の末娘は、双子の姉たちより背が高く口が達者で、10歳だが、よく私の世話をしてくれた。
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1976/10/31      未亡人
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 すでにご主人のビルは会社へ行き、7人の子供たちがが学校へ行くために忙しく動き回っている。洗濯も自分でやるらしい、洗濯機に衣類をほおりこんでスイッチを入れている。朝食もそれぞれで準備して、忙しく食べている。家族全員の写真を撮ろうと思ったら、大学生の息子が時間だと言って出て行った。しかし、ほどなく戻ってきて写真を撮ってくれという。私の気持ちを察してくれたようだ。いい子供たちだ。
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 160キロ先のラスベガスで、ご主人のビルの会社をたずねて、彼の下宿先に泊まることになった。家主は未亡人のおばあちゃんで、いい話相手ができたとばかりに大歓迎だ。たっぷりと話し相手をさせられ、ラスベガスの町を見て回る時間が無くなってしまった。

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