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オートバイの旅(33)Ghana-1977/08/10 [日誌]

オートバイの旅(玉井洋造の旅1976) 日誌

(33)Ghana-1977/08/10

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1977/08/10   奴隷海岸
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 ガーナの国境に到着。ガーナの通貨の価値が低いため、その周辺には両替屋がうろうろしている。彼らはドルより西アフリカフランを欲しがった。税関の職員までが、しつこく両替を迫る。
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 国境から首都アクラへ向かって南下する。今まで通過してきたアフリカ諸国の中では、もっとも豊かな印象だ。道路端では、あの土壁と草屋根の家はあまり見かけない。ほとんどが切妻屋根の木造建築だ。土壁の家でも作りが高級だ。土地はよく開拓されていて、家の周りはトウモロコシが植えられていた。(おかげで私はテントを張る場所を見つけるのに苦労した。)
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 ガーナには町ごとに、ちゃんとしたガススタンドがあったが、肝心のガソリンがない。どこでも配給トラックを待って、長い列ができていた。手に入るときは、私の予備の20リットルタンクも満タンにすることにした。
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 マンボングを過ぎたあたりから熱帯雨林地帯になった。今までになかった大木が現れた。その下には熱帯植物が生い茂ている。野生のバナナもいたるところにある。つまりジャングルだ。建物の形まで変わった。イギリス植民地時代の建物である。古風な西洋木造建築がジャングルの中に暑苦しそうにたたずんでいる。
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 アクラに到着して、これから行く国々のビザ取得のために1週間つぶした。
 アクラの町はごった返していた。海の匂いが立ち込めていた。植民地時代をしのばせるものはほとんどない。海岸に出ると、ヤシの木が並び、潮風をいっぱいはらんでいる。海岸では女たちが小魚をドラム缶で煮ている。
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 バイクに群がる子供たちの写真を撮ろうとしたら、一人の男が私のカメラをつかんで、非常に興奮して叫ぶのだ。そして、子供たちに石を投げて追い散らした。私もカットなって相手になっていると、別の男性が飛んできて「あいつは狂人なんだ。許してやってくれ。写真も気にせずに撮ってくれ。」となだめた。(奴隷海岸と言われた歴史があっただけに、海岸での行動は気を付けた方がよいらしい。)
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 1週間で、ケニヤ、タンザニアまでのビザをほぼ取得したが、ザイールのビザだけは取れなかった。ここの大使館ではガーナの住民だけにビザを発給する。だから、日本国籍の私は、日本で取得しろという。それを聞いて困っているとき、偶然、大使に出会って、私の旅に興味を持ってもらった。そして、特別にビザの発給を受けることができた。1か月滞在可能なビザをもらった。係員は「キミは本当にラッキーな男だ」と祝福してくれた。
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1977/08/24   ディスコや映画
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 ガーナのアクラからトーゴへの国境の町ファラオへ向かう。途中で道が分からなくなり、ポリスに尋ねたところ、詳しく教えてくれた。そして、200キロ走って出入国事務所に着いてみると、係員は私が来ることを知っていた。私の出国がうまくいくようにと、ポリスが心配して電話をしてくれたらしい。係員たちは非常に好意的で出国は簡単に終わった。トーゴへの入国もスムースに完了した。
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 首都ロメの町の海岸でキャンプする。そこでフランス人の青年と仲良くなり、その日から毎日ディスコや映画や食事に連れていかれた。彼の両親のきれいな家の庭でキャンプした。しかし、ほとんど毎日のように電気、水道がストップして、トイレの便器は黄金の山積みとなった。近代的な家もアフリカではどうしょうもないようだ。

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