これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。


約30回の予定で掲載したいと思います。


今回は No.3 アメリカからパナマまで。



 


 


タイトル写真    ※写真をクリックすると拡大表示されます。




訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア


旅行期間  1976.08.03~1979.09.30




ーこれから西部の旅の始まりです。



ー西部劇の舞台へきました。



ー私はいつもレインコート着ています。寒い。



ーアメリカでは、この看板は良く見かけます。



ー山ではキャンプの場所は見つけやすいので助かります。



ーこんな自然公園もありました。。



ー名前が素敵です。虹が良く見えるのかな。



ー公園の看板はどこも素敵です。



ー公園のゴミ箱です。景観を考えて埋めてしまった。



ー水栓の水を飲もうとした私に「飲んではいけない」と教えてくれました。


ー私は水筒の中にヨードチンキを数滴入れて消毒するのです。



ーサンフランシスコ周辺の山々です。



ー11月のハロウィーンで、仮想した子供たち。



ーこの家では子供たちが多くて、食事は台所へお盆を持って並びました。



ーこのような年配の婦人とも親しくなりました。



ーdeath vallyです。



ー砂漠に塩が浮いています。



ーシェラネバダ山脈の景色はどこも雄大だ。



ー古い道路工事車両です。



ーどこかの公園で出合った。



ー海抜0メートル。



ーこれから、あの山を越える。



ー私はこんな所が大好き。



ー峠越えと言っても、それらしくない。



ー森林公園。でも禿山のようです。



ーアラスカの国境事務所の青年が、実家の住所を教えてくれたのです。



ー日本からの荷物を受け取るためにシスコの日本大使館へ寄りました。



ーシスコの路面電車です。



ーシスコ市内。



ーシスコでは、道路で出合った彼が家に泊めてくれました。



ーヨセミテの近くで見つけた滝。



ー友達がどんどん出来ます。



ーカナダで知り合った兄弟の紹介で3泊ほど滞在させてもらいました。



ー旅行中に出合った夫婦の家に行きました。子供がいないようで、非常に歓迎してくれました。



 


ーサンフランシスコの海です。



ーシスコでは地元のモトクロスを覗きに行きました。



ーなかなか熱気がありました。


 



ーサンフランシスコを離れると砂漠です。



ー私は乾燥地帯が大好きだ。



ーここも砂漠の国立公園です



ー日本の実家への挨拶です。フィルムが溜まると郵送しました。



ー疲れた。



ーロスのヤマハを訪問しました。寝ている?。



ーたぶん、ここでも泊めてもらったのだと思います。


ー人とのふれあいの機会はショッピングセンターと公園の駐車場が多い。



ーこの日も、ここでキャンプです。



ーサンジェゴの海です。



ー走行距離は30,000kmを越えました。



ーいつも担いでいるザックをモデルにしました。



ーサボテンの森。



ーメキシコに入りました。貧しい町並みになりました。



ーメキシコで出合ったサボテン。



ーメキシコのカリフォルニア半島を南下しました。なかなか個性的な家屋です。



ーこれも良いですね。



ーメキシコの田舎の家屋です。



ー中米でのキャンプは、殆ど海岸でしました。



ーこんな国道もありました。



ー中米は遺跡が多い。



ーこの広場でキャンプした時は、安全に不安を感じたので、夕方キャンプ場所を移動しました。



ーここでもキャンプしています。



ー中米では各国のヤマハを訪問しました。



ー中米の国。ガテマラの車。



ーホンジュラスのyamaha.



ーニカラグアのyamaha.



ーコスタリカのyanaha.



ーパナマへの道です。



ー飛行場の近くは看板もでかい。



ー国が変われば、道路標識も変わる。かわいい。



ーパナマでは東京のTBSのスタッフに会いました。彼らは海外取材をしていました。



ーパナマから南米に行く道がありません。そこで空輸しました。


ー私はこの倉庫の近くでキャンプです。



ー南米では、古い車が元気に走り回っています。



ーベネズエラのヤマハで海に出かけました。



ーベネズエラのカラカス市内です。



ーカラカスでは日本人の方にあいました。



ーキャンプは初めての土地なので安全第一を考えて見つけた場所です。



ーこれから始まる南米の旅の写真は、ガソリンスタンドでキャンプした時にカメラを盗まれてしまい、ここからペルーのリマまでは写真が一枚もありません。


ー残念だけど、命を盗まれなくて良かった。ラッキー。