オートバイの旅No.13.イラン・パキスタン [オートバイの旅]
これは1976年のバイクによる6大陸17万キロの旅の全写真集です。
約20回の予定で掲載したいと思います。
今回は No.13 イラン・パキスタンです。
タイトル写真 ※写真をクリックすると拡大表示されます。
訪問先; 北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア
旅行期間 1976.08.03~1979.09.30
ーこんなに雪が積もるとは思いませんでした。
ー前輪のタイヤとフェンダーの間に雪が詰まってしまて、タイヤがロックしないように削りました。
ー同じ状態でスロットルを握っていると、キャブも凍りつきました。回転が落ちないのです。私のバイクはシングルワイヤでした。
ーテヘランの近くまで、このドイツの青年と一緒でした。彼のバイクは引っ張らないとエンジンが掛かりませんでした。ここは峠です。
ー路肩には積雪時の表示柱があります。これから、もっと降るのだ。間に合ってよかった。
ーテヘランに着きました。私は、どこでもパンを買っています。一番安全で、安い。ここは美味しかった。
ーテヘラン市内です。イラン革命の最中でしたが、うまく入国できました。しかし出国を急ぎました。
ーヤマハのバイク店がありました。
ー裏には、モトクロスバイクがこんなにありました。
ーテヘランの中心地のようです。
ーここで、こんな車を見つけました。東京から来たようです。
ー郊外でガソリンを入れていたのでしょう。子供たちに捕まってしまいました。
ー町を離れると、いつもと同じ素朴な景観です。
ーテヘランから、南へ下ります。この時、すでにアフガンは入れなかった。
ー南の砂漠の中のシラーズヘ向かいます。
ー大きな燃料の備蓄基地がありました。
ーイスファハンの町の入口のようです。
ー市内の幹線道路。
ーアラビア語は覚えられない。
ーモスクのようです。
ー更に南下します。どこまで行っても空は青い。数日前の雪空がうそのようです。
ーシーラーズの町の手前に、ペルセポリスという遺跡がありました。
ー世界的な遺跡ですが、周辺には出店はありません。金網だけがありました。
ーペルシャ帝国の宮殿のようです。学生のころ、社会の時間に習いました。このようなものを見せてくれたら、もっと授業を熱心に聞いたでしょうね。
ー素朴で素敵です。
ーこの列柱の台座が何気なく置かれているのも良いな。
ー国道から見た全体像です。施設は何もない。この金網柵もないと良いのですが。
ーここはルート砂漠と呼ばれています。
ー私は、この道は砂道で厳しいだろうと覚悟していたのですが、舗装路が続きました。
ー砂漠の好きな人には最高のルートです。景色が凄い。
ーこの日もキャンプの時間が近づきました。どこにテントを張ろうか悩みます。
ー天気の悪い砂漠の夜は真っ暗です。夜には、遠くの方から何かの集会の会話の声が聞こえました。
ーここでもキャンプ。樹木がないので、場所が決まらない。
ー10万キロを越えたヨーロッパで、メーターが壊れてしまいました。これは2台目です。
ーなぜか、パキスタンの手前で、私はホテルに入ったようです。相部屋です。
ー空と山が良い。
ー遠くに集落が見えます。写真を拡大してみてください。良いですよ。こんな所で生まれ育ったら、精神構造は間違いなく、雄大になってしまう。(いい加減になるか。豪快な人間になるか。)
ーペルシャ帝国時代の烽火の塔でしょうか。でかいです。
ーこの辺の土壁の建物は屋根がドームになっています。
ー井戸があります。私は、どこでも土地の水を飲んでいました。水筒にヨードチンキを一滴垂らすと水の汚れが良く分かります。
ーここで休憩したようです。やはり家があると嬉しい。
ーこの集落で、この親子に会いました。親父さんの自慢の息子です。
ーここでも私はバイクを停めています。ここは店だったのかな。後には砂漠が広がります。
ーここは喫茶店でした。おいしい紅茶を入れてくれます。パキスタンはミルク紅茶ですが、アフリカのアルジェリアは砂糖のいっぱい入った甘い紅茶でした。
ーこの土地では畑も牧畜も出来ません。みんなどうやって生活をしているのでしょうか。
ー完全な砂漠になりました。この波のような形は風による造形です。
ーこの山の向うがアフガニスタンです。
ー舗装が変わりました。
ー椰子が茂ります。
ーイスラム帽子とターバンが混ざっています。
ーパキスタンに到着。
ーこれからカラチへ向かうのでしょうか。
ーアフガニスタンの国境に近いクエッタまで8kmとあります。
ークエッタの町でしょう。綺麗に飾られたオート三輪です。商店は一つ一つが狭い間口です。
ーパキスタンの熱気を感じます。
ーこれは博物館の蒸気機関車ではありません。本物です。
ー馬車も乗りたくなるような形をしています。馬も良く手入れがされている。馬体が光っています。
ー私も、この町並みを見て安らぎを感じます。ヨーロッパの旅行は、あまり楽しくなかったのです。キャンプの場所を探すのが大変だった。
ーこの水はインダス川が近くにある証拠です。水鳥も飛んでいる。イランの南部は、あんなに乾燥していたのに嘘のようだ。
ークエッタかカラチへ向かいました。
ーもう山はありません。インダス川流域の平野部です。
ー途中で仏教遺跡のモヘンジョダロに着きました。
ー広大なレンガの遺跡です。道路も建物も全てがレンガです。土レンガではありません。だから凄い。
ーレンガの積み重ねは、たくさんの形の想像を生むんでしょうね。子供がブロック遊びに夢中になるように。
ーカラチの近くに着いたようです。
ーここで私はキャンプをしたんでしょ。
ー多くの人がこのスタイルです。
ー青年はこのスタイル。
ーカラチのyamahaです。
ーここでも歓迎されました。ラホールのyamahaへの紹介状を書いてくれました。
ーみんな素敵なしぐさです。
ーカラチでは、このお宅に滞在することが出来ました。
ーここはバイクの修理店のようです。
ー町では空を見ると、モスクの塔が見えるように思えます。
ーここもバイク屋さんのようです。壁に部品がぶら下がっています。
ーたぶんカラチの銀行でしょう。
ー広場には、このようにトラックが待機しています。
ーカメラを出すと、皆が集まりました。
ートラックの運転席です。中も凄いや。
ーカメラを向けると皆が嬉しそうです。自慢のトラックです。
ーカラチと北のイスラマバードを結んでいるのでしょう。
ー軒天はこうです。
ー次回の旅 No.14は パキスタン・インドです。
ー「玉井洋造の旅」のホームページはこちらです。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/yajimatama8590/
ー「感謝」 いつも大勢の方に見ていただき、有難うございます。この写真は30年以上の間、押入れの奥にしまったままでした。もう自分でも見ることはないと思っていました。あるときフィルムスキャナーのことを知り,さらにブログの容量が大きいことを知りました。こうして皆さんに見ていただく機会を持つことが出来ました。本当に嬉しいです。
私も、写真はあまり見ていなくて、今回の作業で多くのことを思い出しました。やはり、あの時、旅に出て良かった。26歳の時でした。